細川刑部邸から車道を渡ると、大きな石垣がそびえている。その石垣の間に通路が見えた。これが熊本城の入口、西の丸御門跡である。
広い石段を上ると、広大な芝生が広がっている。ここが二の丸広場である。ここには形のいい巨木がいくつも茂っていた。
芝生の広場からは熊本城の長大な石垣と城郭を眺めることができる。長塀の近くまで行ってみると、芝生の広場はいったん途切れて堀になっていた。堀を見下ろすと、底から石垣が立ち上がっていて、この石垣の上には長大な塀が続いているのだ。すばらしい眺めだ。
石垣の左端に「戌亥櫓」が立っている。平成15年に復元されたものである。
長塀を眺めながら堀に沿って歩いて行くと、天守閣が見えてきた。
堀を渡ると西大手門がある。熊本城には西・南・北の三つの大手門があるのだ。
西大手門をくぐると、とたんに人が多くなった。目の前には石垣の上に天守閣…と思ったら、これは宇土櫓であった。
本丸に入るためには「頬当御門」をくぐるのだが、ここが熊本城入場の料金所になっている。
頬当門の先は枡形になっていて、鍵型にまがってようやく天守閣のそびえる本丸に着いた。
熊本城は加藤清正が築いた城である。この城はまちがいなく名城といっていい。清正の築城術のすべてを傾けた難攻不落の城なのだ。
明治10年の西南の役で西郷軍に攻められ、天守閣は焼失したものの52日間の篭城に耐え、ここで西郷軍を釘付けにできたからこそ、政府軍は勝利を収めることができたのである。
今の天守閣は昭和30年に鉄筋コンクリートで再建されたものだが、宇土櫓だけは創建当時のもので、国の重要文化財にしていされているのだ。そして石垣は「清正流石組」と呼ばれ独特の弧を描く美しいものである。
ただ、加藤家は大阪夏の陣のあと取り潰しとなり、その後を継いだのが細川家なのだ。
熊本城の観光を終えたら4時半であった。
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