九州一周の旅 杵築

2011年10月4日
轟地蔵の観光を終えて、次の予定の湯布院に向かって車を走らせて行くと、重光邸の案内板を見てしまった。
せっかくなので立ち寄ることにした。
重光邸というのは外務大臣「重光葵」が、学生時代に暮らした屋敷なのである。
ご存知とは思うが、重光は太平洋戦争終結にあたって、外務大臣としてミズリー号艦上で降伏文書に調印したひとである。
重光葵(まもる)は明治20年(1887)に現豊後大野市に生まれたのだが、3歳のとき父の実家である杵築市に移転したのだ。
杵築小学校、主席で卒業した旧制杵築中学校と幼少期のほとんどを杵築で過ごした。
重光が2階で勉強に励んだというこの屋敷は「無迹庵」と名づけられて、遺品や写真の数々が展示されている。


静かな林の中に重光邸はある
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