関東の旅

かって「神宮」という呼称は伊勢神宮、香取神宮、そしてこの鹿島神宮にしか許されなかったようで、すごく格式の高い神社なのだ。鹿島神宮は常陸の国一宮である。
この神社には大地震を引き起こす大鯰の頭を押さえつけているという「要石」がある。つい先日東日本大震災に遭ったばかりなので、真剣にお参りをしてしまった。


 鹿島神宮本殿を参拝
鹿島神宮の門前町


参道を行く


茅の輪、私も作法通りくぐった

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2011年6月5日

常陸太田から太平洋に向かい、後は国道を南下してゆく。途中に鹿島神宮あったので、参拝してゆくことにした。

神社前には立派な商店街があって、この石畳道を行くと神社前に着く。ここには大きな鳥居がある…はずが、なかった。東日本大震災で倒壊してしまったのだ。
鬱蒼とした樹林の中に参道が続いていて、大きな朱の楼門が見えてきた。随神門である。両側には極彩色の神像があった。
随神門をくぐると、左に御札の授与所があって、お守りなどを求める人がいっぱいいた。
この少し先、右に鹿島神社本殿がある。鹿島神宮には、地震を起こす大鯰の頭を押さえこんでいる要石がある。東日本大震災があったばかりなので、二度とこんな大震災がないようにと、賽銭も奮発して丁寧に参拝した。

本殿の向い側には「仮殿」がある。りっぱな社殿なのだが、どうして仮殿なのだろうかと思った。
この前に小さな社があった。高房社というのだが、本宮のお参りはこのお宮を参拝したあとにすることになっているらしい。もう本宮はお参りしてしまったよ…。



 奥宮を参拝
奥宮への参道


奥宮


高房社のすぐ先には柵があって、結界になっっているようだ。この奥が奥宮参道である。

参道には杉の巨木が並木となっていて、いかにも神さびた景観である。
参道の左にさざれ石があって、その奥には大きな鹿の檻があった。鹿島神宮も鹿を敬っているらしい。奈良の春日大社のように放飼いにしたらいいのに…と思ってしまう。
さらに参道を進むと、右に奥宮があった。徳川家康が関ヶ原合戦の勝利の御礼として本宮として奉納したのだが、その14年後に新たに社殿を建てることになって、お払い箱になってこの地に移されたらしい。



 御手洗池と要石
御手洗池


要石


奥宮の前は広場になっていて参道はここで尽きている。でも、広場から左右に細いみちが伸びている。右が要石、左が御手洗池への道である。

まず御手洗池に向かった。不思議な群青色の池が広がっていた。一日に40万リットルもの湧水があって、昔は参拝する前にここで禊をしたらしい。池の中に石の鳥居があって、このすぐ傍に水が湧き出ていた。
奥宮にもどって、要石に向かった。林の中の広場に玉垣がめぐらしてあって、その中に小さなドウナッツのような石があった。これが要石である。
要石は地中深くに埋まっていて、この石が地震を起こす鯰の頭を抑えて、大地震を防いでいてくれるのだ。要石は表に出ているのは小さいのだが地を掘るにつれて大きくなって、その極まるところ知らずという。水戸黄門もどこまで深く埋まっているかを確かめたくて七日七晩掘り続けたが、結局掘りきれなかったという。
先ごろ、私は東日本大震災に遭ったばかりなので、二度と鯰の目を覚まさせないようにと真剣に祈ってしまった。
あとは、引き返した。



 塚原卜伝生誕地
塚原卜伝生誕の地の銅像


野口雨情の歌碑があった


鹿島神宮のすぐ近くに塚原卜伝の生誕地があるので立ち寄った。
住宅街のはずれの小高い丘に、大きな看板が立っている。そこは小さな公園になっていて、そこに卜伝の銅像が立っていた。この公園には「剣聖塚原卜殿生誕
500年祭記念碑」や野口雨情の歌碑などがあった。野口雨情は茨城県の出身でこの地にしばらく逗留したらしい。
これで今日の観光を終えて、この日は「道の駅いたこ」に泊まった。


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