私は司馬遼太郎の小説が好きで、今日これから観光しようとしている鹿児島は、「翔ぶが如く」の舞台である。
鹿児島の街を巡ると、明治維新のことをしきりに考えさせられた。


仙厳園→尚古館→石橋記念公園→ザビエル上陸記念碑→鹿児島駅→西郷西郷隆盛生誕地→維新ふるさと館→大久保利通銅像→照国神社→鹿児島近代文学館→私学校跡→鶴丸城跡→薩摩義士碑→西郷隆盛終焉の地碑→城山→西郷南洲公園


 仙厳園と尚古館
仙厳園入り口


反射炉


仙厳園の庭園


濾過池


濾過池から下ってきた


尚古館

BACK 甫与志岳


2005年214

昨日はコンビニの駐車場に車を停めて、そこで寝た。
この駐車場は仙巌園のすぐ近くにある。鹿児島の観光地ではここが一番北にあって、ここから南下していこうと思っているのだ。
まず腹ごしらえ。コンビニの隣にファミレスがあるので、ここで朝食をとった。朝食はドリンクバーがついて、399円であった。安い。

9時頃、仙巌園に行く。
ここは19代島津光久が築いた別邸なのだが、桜島を借景にしたすばらしい庭園である。
入園料はけっこう高くて、1000円もするのだ。
門をくぐると、まず反射炉跡がある。島津斉彬は幕末にあって、開明名君といわれたのだが、この地で多くの西洋科学の実験をしたのである。製鉄のための反射炉もその一つで、この反射炉で大砲をつくったりしている。
道順にしたがって進むと正門があり、正門から左に緩やかに登ると、赤く塗られた錫門がある。ちゃちな門なのだが、瓦が錫でできている。薩摩で錫が精練できるようになって、その錫でつくられているのだ。当時は島津家の当主と嫡男しか通れなかったのだという。
この門を潜ると庭園の入り口である。
正面には磯御殿があるのだが、この中に入るのはさらに500円を払わなければいけない。やめた。
庭園に入ると真っ正面に大きく桜島がそびえている。すごく雄大な庭園である。
庭には灯篭がいくつかあるのだが、ほとんど自然石を使っている。手を加えていないのだ。
最初の灯篭が獅子乗せ大石灯篭で、傘の上に、まさに翔びかからんとする獅子の石像がのせられている。
そしてもう一つの灯篭が鶴灯篭で、これは日本初のガス灯がともされたのだ。
浜御殿に隣接された池をみて、振り返ると山肌にある大岩に千尋巌と刻まれている。
それから黒い東屋の前に出た。これが望嶽楼、なるほどここから桜島を眺めるのはすばらしい。これは琉球王から贈られたものなのだそうだ。
薩摩独特の石垣造りの道に入ると曲水の庭がある。石垣の上にあって、ここに流れが作られている。ここで曲水の宴を開いたのだそうだ。これは平安貴族の遊びではないか。
坂を登って行くと右に笹薮があって、江南竹林。中国から取り寄せた孟宗竹なのだ。
最後にたどりついたのが「猫神」。
そのすぐ横に「濾過池」という石造りの小さな家があった。
大急ぎで仙巌園を廻ったが、次は尚古集成館を見る。
ここは28代藩主島津斉彬が起こした集成館工場が建っていたところなのだ。
この中で島津家の歴史を細かに知ることができる。
隣に別館があるが、今は島津家に伝わる雛人形・御所人形の展示をしていた。



 祇園之洲公園と鹿児島中央駅
バスに乗った


祇園の洲砲台跡の標識があった


高麗橋


ザビエル上陸記念碑


玉江橋(下流側)

仙巌園からカゴシマシティビューという観光用のバスに乗る。このバスは鹿児島市内の名所を循環しているバスで、見た目は青く似られた路面電車のような感じなのだ。
バスの中で1日乗車券を買った。600円である。1回乗る乗車料は180円だから、4回乗ると元が取れる。車はコンビニの駐車場に停めたままである。レッカー移動させられたらどうしようと、ちょっと心配だった。
祇園之洲公園前で降りた。
ここにはザビエル上陸記念碑と3つのアーチ石橋が移築されてあるのだ。
公園に入って、すぐ目につくのが高麗橋である。弘化4年(1847)に架けられた4連アーチの大きな橋である。ここに移築された5つの石橋の中で一番長い橋なのだ。(5つ移築されたのだが、平成5年8月の集中豪雨で2つが流されてしまって、今は3つしかないのだ)
橋のすぐそばに砲台跡の標識が立っていた。幕末に島津斉彬が築かせたもので、薩英戦争のときは激戦地になったのだ。
この横を通って、川を渡ってザビエル上陸記念碑の前に行った。フランシスコ・ザビエルはリスボンを出向してインド・マラッカを経由し、天文18年(1549)ここに上陸したのである。ザビエルは島津貴久の歓迎を受けて、布教の許可も得たのである。ザビエルが日本で最初の布教活動をしたのはここ鹿児島だったのである。毎年8月に、この祈念碑の前で「ザビエル祭」が行われるのだそうだ。
引き返して西田橋を見る。かっては参勤交代の道筋に架かっていたのだが、弘化3年(1846)に石橋に架け替えたのだ。木造の時の青銅擬宝珠をそのまま使って、高欄も木造のように丸柱にしている。橋の入り口になぜか立派な門が建っている。かっては西田橋の左側にたっていて、ここで検問が行われていたのだ。西南戦争のときに消失したのを最近にになって復元されたのだ。
このすぐ傍に石橋記念館があるのだが、今日は月曜日で休館日なのだ。残念。
最後に玉江橋に行った。ちょっと離れているので、次のバスに間に合わせるために走って行った。

この橋は最も5つの橋の中では新しい物で、といっても嘉永2年(1849)に架けられたものなのだが…。この橋の特徴は、大雨の時に水を左右に分けて水の力を和らげる水切り石がついていることなのだ。水切り石は上流方向と下流方向で形が違っているのだ。
走ってバス停に戻った。少しだけ待って、鹿児島中央駅まで行った。
駅前には「若き薩摩の群像」というすごい記念碑が聳えていた。幕末に薩摩から外国に秘密に留学した若者たちの銅像群なのだ。この留学を助けたのが、長崎で見学した「グラバー邸」のグラバーなのである。



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