国東六郷満山
2011年10月3日
両子寺は国東半島の真ん中、両子山の山頂近くにあるお寺である。
養老2年(718)に仁聞が開いた古刹で、六郷満山の中心寺院であったという。
参道入り口に立つ石造仁王像は、数多い国東半島仁王像の中でも白眉といわれる。

参道入り口に立つ石造仁王像

像高2.3m、文化11年(1814)の作といわれる仁王像
参道石段の横に財前国雄の歌碑があった。
財前は明治31年に両子に生まれて、農業に励む傍らで短歌の道を究め、歌誌に作品を発表し続けたのだ。
昭和36年、64歳で病没。
著作に歌集「両子嶺」があり、田園歌人として親しまれている。
歌碑にきざまれている歌は

嬉しきとき
悲しきときに
わが対(むこ)ふ 両子嶺ばかり
親しきはなし


山門をくぐると道は平坦になった

書院客院の前に着く

書院の隣に護摩堂がある。明治2年に焼失したが、20年あまりの歳月をかけて復元した。
中には本尊不動ほか観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天などが祀られている。

護摩堂前の不動明王像

鬼橋。昔、力もちの千徳坊が一枚岩を山から引き下ろして橋にしたのだという。

鬼橋を渡ると、林の中に稲荷堂があった

石の仁王像のたつ石段を登って奥の院に向かう

奥の院入り口の仁王像

国東塔。両子寺には大小7基の国東塔がある

大講堂。平成3年に再建されたもの

三尊仏の後ろの壁画
大講堂の中の阿弥陀三尊像。中央の阿弥陀如来は鎌倉末期の作で、講堂再建のときに京都の仏師によって解体修理をおこなった。
脇侍の観音・勢至菩薩は京都で新刻されたものである。
石段を上ると、両所大権現という額がかかる石の鳥居があった。
ここからさらに石段を上った先に、奥の院本殿、国東塔、磨崖板碑がある。

急な石段を登って奥の院に向かう

国東塔と磨崖板碑

引き返して松平候内室の墓に参拝

最後に奥の院へ向かう
奥の院。弘化3年(1846)杵築藩主松平候が寄進した。千手観音・両子大権現・宇佐八幡・仁聞菩薩を祀っている。
不老長寿と子授け祈願の霊場としても広く知られているらしい。

奥の院の中

奥の院岩屋への入り口

奥の院岩屋の中には不老長寿の霊水が湧

両子寺の絵馬
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