大濠公園→万葉歌碑→天神→赤煉瓦文化館→福博であい橋→三人舞妓像→櫛田神社→博多町屋ふるさと館→東長寺→承天寺→聖福寺→福岡城跡→鴻臚館展示館

政令指定都市の福岡市であるがJRの駅の名は博多なのだ。那珂川を挟み、西が政治都市の福岡で、東が商業都市の博多なのである。戦国時代に街は荒れ果てたのだが、豊臣秀吉は博多を直轄地にして復興をはかり、関が原の戦いの後、黒田氏が城を築いて城下町として栄えたのだ。博多の祭りはなんといっても祇園山笠で、勇壮な祭りなのだが、飾り山笠もすばらしいのだ。


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2006年12月18日

帰りのフェリーは
1910分である。1時間前に着けばいいので、それまでの時間を福岡の観光にあてようと思う。
福岡市街に入って車を走らせて行く。どこに車を停めようかと悩んだが、大濠公園の美術館の前にした。
まず大濠公園を散策する。目の前に福岡市美術館がある。普通だったら、この美術館にまず入ってしまうのだが、今日は月曜日で休館日なのだ。残念。
大濠公園というのは福岡城の西にあった外堀を利用して造られた公園なのだ。公園の中心には大濠池が広がっていて、この池を周遊する遊歩道が設けられている。この池を時計周りに歩いて行くと池辺に測量標(四等三角点)があった。こんな平坦地に三角点があるのかと驚いてしまった。
池の中には大濠池を二つに分割するように菖蒲島・松島・柳島の三つの島が連なっていて、島の間にはそれぞれ長い橋が架けられているのだ。この橋を歩いて向こう側に渡るつもりだ。まずさつき橋を渡って菖蒲島に渡る。公園の周りにはビルが立ち並んでいて、福岡市街の真ん中にいることがわかる。茶村橋で松島に渡ると、その名の通り松林が続いている。
林の中には東屋があって、万葉歌碑もたっている。

しろたえの袖の別れを難(かた)みして
荒津の浜にやどりするかも


このあたりは万葉の頃、湾が大きく入り組んでいて荒津の浜と呼ばれていたのだ。
柳島を歩いて行くと、左に突き出て御堂がたっている。鮮やかな朱に塗られた浮見堂である。この先には長い観月橋があって、これを渡ると向こう岸に着く。
公園から出て大通りに出ると地下鉄の大濠公園駅があったので、ここから地下鉄で天神駅まで行った。
天神は福岡繁華街の中心地である。その喧騒のビル街を歩き、那珂川に沿って行くと赤煉瓦の建物が見えてくる。これは旧日本生命九州支店で、今は福岡市文学館になっているのだ。明治42年に建築されたのだが、東京駅の赤煉瓦駅舎を手がけた辰野金吾が設計していて国の重要文化財に指定されている。
那珂川に沿って南に向かい、天神中央公園に向かう。ここには明治43年建築の旧福岡公会堂貴賓館があるのだ。楽しみにして行ったのだが工事中で、建物はすべてシートで覆い隠されていた。
あきらめて、「福博であい橋」で那珂川を渡る。橋の中ほどには東屋やベンチが置かれていて、ビル街を流れる那珂川を眺めることができる。
橋を渡ったところには「三人舞妓」という銅像がたっていた。説明を読むと、これは小島与一作の博多人形を三倍に拡大したものなのだという。博多人形がどうして銅像にまでなっているかというと、この人形は大正
14年のパリ万国博に出展されて、現代美術工芸の部門で銀賞を獲得したものなのだ。そうとわかると、改めてしみじみ鑑賞してしまった。
次に博多川を渡り、右折して川端商店街のアーケードの中を行く。
着いたのが櫛田神社である。
櫛田神社は天平宝字元年(757)の創祀で、博多の総鎮守という古社なのだが、それよりは博多祇園山笠で有名なのだ。境内には飾り山笠が展示してあって、これがすばらしかった。境内にはこのほかに縁結びの夫婦銀杏や樹齢1000年、天然記念物に指定された大銀杏もあった。
櫛田神社境内を東に抜けると、大きな提灯の下がる門があって、その向こうに石の鳥居があった。こっちが正面の参道ということに気がついた。
すぐ先に「博多町家ふるさと館」がある。この建物は
100年ほど前の博多の古い町家を移築したもので、中は大スクリーンでの博多山笠の紹介や博多の街のジオラマなど、みていてすごく楽しいのだ。
さらに東に向かって歩き、東長寺に着く。大同元年(806)に空海が開いた真言宗の寺で、ここには福岡藩黒田家の墓所がある。
本堂は堂々とした建物なのだが、鉄筋コンクリートの新しいものである。またこれも新しいものなのだが、福岡大仏という高さ10mほどの木造の坐像がある。参拝無料ですという表示があったのでお参りをした。
次に聖福寺に向かったが、途中に承天寺があるので立ち寄った。京都の東福寺を開いた聖一国師の創建といわれ、博多祇園山笠発祥の地ともいわれている寺である。石庭を覗くことができた。
聖福寺は臨済宗の開祖、栄西が開いた寺で、日本最古の禅寺だという。この寺の山門は大きくりっぱなもので、後鳥羽上皇の宸筆による「扶桑最初禅窟」という扁額が掲げられているのだが、工事中で門はシートに覆われていた。境内は広くて林になっていて、山門の奥にはりっぱな仏堂がたっていた。

もう一度、地下鉄に乗って大濠公園に引き返す。最後に福岡城跡を散策するつもりだ。
石垣しか残っていなくて、わずかに多聞櫓・潮見櫓が残るだけである。二の丸の梅林からさらに石段を上がって本丸に着く。狭い石垣の狭間を通って天守閣跡に登った。
天守閣跡は石垣に囲まれていて、礎石だけが残っていた。礎石を囲む石垣の上に登ると福岡市街を展望できる。夕闇が迫っていた。
道を引き返して鴻臚館跡展示館に行った。どこにあるのかわからなくて迷ってしまったが、閉館ギリギリで中に入ることができた。鴻臚館というのは奈良・平安時代に唐や新羅の使節の迎賓館だった建物である。昭和62年から発掘が行われていて、その遺跡を復元、展示しているのだ。私が入ったら玄関の扉は閉められてしまって、帰りは裏門から出ることになった。
この鴻臚館で福岡の散策を終了した。大濠公園の池端を歩いていくと、ビル街に日が沈もうとしていた。
これで、九州登山旅行はすべて終了した。九州百名山も終わったので、当分九州に来ることはないだろう。なにかしら、すごく名残惜しい。
あとは新門司港からフェリーに乗るだけである。

九州登山旅行おしまい


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大濠公園のさつき橋と菖蒲島


観月橋で対岸に渡る


赤煉瓦文化館


福博であい橋


櫛田神社入口


博多町屋ふるさと館


東長寺の本堂


聖福寺の鐘楼


福岡城天守閣跡


鴻臚館展示館





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