福江城→五島邸庭園→武家屋敷→六角井戸→明人堂→五島観光歴史資料館

福江の市街には福江城跡がある。今は高校の敷地になってしまっているのだが、福江邸には庭園が残っている。市街を散策すると、武家屋敷や異国情緒あふれる史跡が残っていて、もっと時間をとればよかったと思ってしまった。


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5月4日

鬼岳から登山口に戻って、あとは車道を下って福江の街をめざす。

ところが、道路案内標がまったくなくて道を間違えてしまった。自分が今、どこを歩いているのかわからなくなってしまった。磁石をだして方向を確認して、福江の方向に向かう道を選んで歩いて行く。
いろいろ迷いながらも、なんとか今朝、バスで通った県道に出ることができた。
この県道を歩いて行くと右手に石垣が見えてきた。福江城の跡である。これで自分がどこにいるかはっきりした。
まだ
2時である。ここからの時間は観光に使うことにした。まず福江城跡を見学した。
この福江島は江戸時代、1万2600万石の藩であったが、江戸初期に城は焼失して、その後城は築かれないままだった。でも、幕末になって三十代藩主盛成公が、黒船来航に備えて造ったのがこの石田城なのだ。

今は福江高校の敷地になってしまっているのだが、堀と石垣が残っている。
城址の一郭に五島邸庭園がある。この庭園を見学することにした。
ここの庭園は安政5年に金閣寺の丸池を模倣して造られた林泉式庭園なのだそうだ。でも、庭木には
亜熱帯植物がつかわれていて、なにかしら南国情緒がある。
この庭園は少し荒れた感じがして、あまりいいものとは思わなかった。
次は武家屋敷を見学することにする。
ここにはふるさと館があったので入ってみたが、あまり見るべきものはなかった。でも、武家屋敷のたたずまいはすばらしかった。九州でみる武家屋敷の特徴は石垣で囲まれていることなのだ。石垣の上には「こぼれ石」という丸い小石を積み重ねて、両端は半月型の蒲鉾型の石でとめている。こうした造りは五島だけのものなのだそうだ。石垣の続く武家屋敷の感じは本州のものとはまったく違った印象を受けてしまう。
この武家屋敷の中をブラブラと歩いて中央郵便局に向かった。郵便局ではASTが使えた。おかげで帰りの船に乗ることができる。ほっとした。
商店街を歩いて六角井戸に向かう。この井戸は明との貿易が盛んだった頃に中国人がつくったものなのだ。
このすぐ近くに明人堂がある。中世、東シナ海で活躍した明の貿易商人「王直」はこの福江を根拠地にしていて、その王直の航海安全祈願のお堂が明人堂なのだ。
最後に民俗資料館に寄った。お城の天守閣のような建物で、ここでゆっくり見学の時間をとった。

フェリー乗り場に向かって歩いて行くと、港の堤防に古い常夜灯がたっているのが見えた。昔は灯台の役割をしていたのだそうだ。
港に戻ったのは3時半である。

フェリーは定刻の出発。くるときはめちゃくちゃに混んでいたのに、帰りは空いていた。
夜の8時過ぎに長崎に着いて、有料駐車料金は二日で2500円であった。
もう8時を過ぎてしまったので、有明海フェリーは終わってしまっている。陸路を走って行くしかない。
明日は祖母山に登るつもりなのだ。


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堀端に着いた


五島邸入り口


五島邸の庭園


武家屋敷通りのふるさと館


六角井戸


明人堂





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