関東の旅


榛名湖→湖畔の宿記念公園→榛名神社→随神門→鞍掛岩→千本杉→水神楽→塩原太助玉垣→三重塔→万年泉→御水屋→矢立杉→神幸殿→双龍門→本殿→国祖社→神楽殿

榛名神社は用明天皇のときに創祀された式内社である。境内は広くて700mほどの参道を歩かなければいけないのだ。その途中には見るべきものは多くて、決して涸れることがない万年泉や重要文化財の双龍門。本殿の広場にたつ3つの建物もすべて重要文化財である。


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2006年10月12日

さて、これから浅間隠山に向かう。

でも、近くに湖畔の宿記念公園があるので寄っていくことにした。
「湖畔の宿」というのは昭和初期に大流行した歌謡曲で、服部良一作曲、高峰三枝子が歌ったのだ。
「山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心…」という、この湖が榛名湖だったとは知らなかった。

この公園の駐車場で榛名神社の看板をみた。重要文化財の建物も多く、すばらしい神社のようである。浅間隠山に向かう途中にあるので、立ち寄ることにした。
車を走らせて行くと、カーナビに神社が表示されているのにこれを通過してしまって、さらに走って行く。不思議に思ったら、この榛名神社の境内はものすごく広くて、神社の入口から本殿までは700mの参道を歩かなければいけないのだ。神社の入口から走ってきた方向に引き返すように歩くのだ。ようやく、左に神社入口の標識があって、字に左折して神社入口に向かう。道の両脇にはお土産屋さんが並んで、けっこう参拝者の多い神社だということがわかる。
参拝者用の駐車場に車を停めて、大きな石の鳥居の前に立つ。ここから700mを歩くのだ。
すぐに赤い欄干の橋(随神橋)を渡ると、りっぱな門がたっていた。随神門である。
門の前には境内の案内図と神社の由来の看板がたっている。
それによるとこの神社は用明天皇の時に創祀された延喜式の格式ある神社なのだという。
隋神門をくぐると、右に毘沙門天像がたっていた。この先の参道にはこの毘沙門天をはじめとして七福神の像が点々とたっているのだ。
鬱蒼とした林の中を歩いて行くと再び赤い橋があって、これが禊橋。その袂には七福神の長老人がたっている。神社の神域に入るためには身を清めなければいけないが、その禊をするのがこの橋ということなのか。
橋を渡ると緩やかな登りになった。右下には沢が流れているのだが、これが榛名川である。参道の右に案内板があって、対岸に鞍掛岩があるという。目を凝らしてみたが、どれが鞍掛岩なのかわからなかった。
坂を上りきったところには大きな杉の木が並んでいて、いくつかの石碑がたっている。千本杉である。この辺一帯には樹齢百年から四百年の杉の巨木が千本ほどあったのだそうである。このこのそばには布袋さまの像があった。
ここからすぐのところには「縁結びの水琴窟 水神楽」があった。ここにある「開運ご神水おみくじ」は、流れ出ている神水におみくじを浸すと文字が浮き出るのだそうだ。凝ったおみくじである。ここには福禄寿がたっていた。
ここから石段を上るのだが、その石段には「塩原太助奉納玉垣」という案内がたっていた。よく見ると、この石段の横に古い石柱があって、そこには「奉献 江戸本所 塩原屋太助」と刻まれていた。塩原太助はみなかみ町に生まれたのだが、19歳で江戸に出るとき、榛名神社に参篭したのだそうだ。その江戸で炭屋として大成功して、そのお礼として玉垣を奉納したのだそうだ。榛名神社は事業成功のご利益もあるらしい。
また、石段の横には首都圏自然歩道の指導標がたっていた。「首都圏自然歩道ふれあいの道」は私が栃木に住んでいたときに歩いていた長距離自然歩道である。栃木県と茨城県のコースは歩き終えたのだが、いつか全コースを歩きたいと思っているのだ。
石段を上った左には三重塔がたっている。神社なのに、どうしてお寺の建物があるのかと思ってしまうのだが、昔は神仏習合が一般的でお寺も神社も同じ境内にあったのだ。それがきびしく分離されたのは明治政府によってである。赤く塗られた三重塔で、群馬県では唯一のものなのだ。そばには大黒天がたっていた。
この先は突然、頭上に屋根がかかった道になった。岩が張り出した下を行く道で、落石防護の屋根なのである。
トンネルを抜けると赤い神橋がある。橋がかかる左は岩壁で、そこに細くえぐれた谷が落ちてきている。行者渓というのだそうだ。ここには弁天さまがたっていた。
すぐに急な石段がある。その右には赤い柵があって、その中には泉がある。榛名神社は水源神でもあって、昔は雨乞講があったらしい。その講で神社参拝した後は、この万年泉の神水を汲んで村に帰ったのだという。万年泉は一年中水が涸れることはないという。
万年泉から石段を上ったところには朱もあざやかな御水屋がたっている。本殿の参拝前にはここで手を洗い口をすすぐのだ。この御水屋の対岸には瓶子の滝が見える。小さな滝である。滝の両岸の岩が酒の器(瓶子)に見えるからこの名がつけられているのだという。
御水屋の前を左折して石段を上ると、そこには巨大な杉が聳えていた。武田信玄が箕輪城を攻めたときに参拝矢を立てて戦勝祈願をしたという「矢立杉」である。
急な石段が続き、その途中に建っているのが神幸殿である。58日の祭日には本殿の神輿がここに置かれるという。
急な石段は巨岩の間を上って行く。この神社は巨岩におおわれているということがわかってくる。門をくぐって広場にでて、ターンして石段を上るのだが、そこにたっているのが双竜門である。門の後にはローソク岩がそそり立っている。すごい眺めである。門の扉には龍の彫刻があって、天井にも龍が描かれていた。国の重要文化財に指定されている。
双龍門をくぐり、もう一度ターンして石段を上ると本堂のたつ広場である。
この本堂の広場には、本社・拝殿、国祖社、神楽殿などがたっているが、そのどれもが国の重要文化財である。
そして本殿の後には奇岩が聳えたっている。この榛名神社はみどころいっぱいのすごい神社だと思う。



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湖畔の宿記念公園入口


公園の銅像


榛名神社入口


鞍掛岩、よくわからなかった


千本杉の布袋


首都圏自然歩道の指導標


万年泉


御水屋と矢立杉を振り返る


双龍門


本殿





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