北陸の旅


JR郡上八幡駅→延命地蔵→嵐璃橘之丞碑→やなか水のこみち→願蓮寺→正一位稲荷→乙娘川→旧庁舎記念館→折口信夫碑→郡上八幡城→力石→凌霜隊碑→首洗い井戸跡→宝暦義民碑→山内一豊と妻の像→安養寺→童地蔵→郡上八幡博物館→上殿町→大乗寺→鍛冶屋町→郡上踊りの像→宗祇水→新町→JR郡上八幡駅

郡上八幡の古い家並みは飛騨高山に似ていて、歩いていて本当に楽しいのだ。ここの盆踊りの郡上おどりは一晩中踊り明かすというすごものなのだが、その時期に再訪したくなってしまった。


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2007年9月19日

JR
の郡上八幡駅から散策をスタートした。
線路に沿った道を北に向かって、国道156号線との交差点で右折する。500mほど行くと上枡形で、そこには延命地蔵がある。地蔵尊の両脇には石碑があって、左に「南無阿弥陀仏」右には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。
ここから左折して細い路地に入ると、飲み屋街のようなところに小さな広場があって、そこに石碑がたっていた。崩した字で読みにくいのだが、「嵐璃橘之丞碑」と刻まれていて、説明板によると、ここには明治35年頃に八幡屋という県下一の劇場があったらしい。嵐璃橘之丞というのは、歌舞伎の女形として活躍した人なのだが、この付近の出身で、八幡屋の開業早々に舞台にたって熱狂的な歓迎をうけたのだそうだ。でも、今は劇場の跡形もない。
商店街を歩いてゆくと、きれいな流れのある路地があった。この細い通りは公園のように整備されていて、「やなか水のこみち」と名づけられていた。この雰囲気はすてきである。
こみちを南に抜けて左折すると、いかにも古い町並みが続いていて飛騨高山に似ている。このいい感じの街を歩いてゆくと右に願蓮寺があった。境内に入ってみたが、普通のお寺であった。
東に歩いて行くと細い流れがあって、そこには稲荷社がある。小さな祠があるだけなのだが、たくさんの幟がたてられていて、正一位と書かれていた。すごく格式の高い稲荷さんなのだ。恐れ入ってしまった。
流れに沿って北に向かう。この道もけっこう雰囲気がいい。商店街に出ると右には古い洋風の建物がたっていた。これが郡上八幡旧庁舎記念館である。昭和11年に建てられたものだが、屋根は当時の最新技術のトラス工法が用いられているのだそうだ。館内は観光お土産屋さんになっていた。
記念館の前は広い通りで、これを少し行くと大きな橋である。新橋という橋で流れているのは吉田川、橋はかなり高いところにかかっているのだ。水は青く澄んでいて川の両岸には巨岩が重なっている。街のど真ん中だというのに深山の渓谷のようであった。夏は、子供たちがこの橋から飛び込みをしたりするのだという。
橋を渡ったところは字路になっていて、その少し右に折口信夫の歌碑があった。折口という人は古典学者であり、民俗学者でもあり、釈迢空の名前で詩人・歌人としても活躍した人である。歌碑には

焼け原の 町のもなかを行く水の
せせらぎ澄みて 秋近つけり


と刻まれている。
郡上八幡は大正八年に大火にあって、町は焼け野原になってしまったのだが、折口信夫はその直後にここを訪れたのである。
この歌碑の横に細い階段の道が上に伸びている。この階段を登ると町の真ん中にそびえる郡上八幡城に行くことができるのだ。もちろん登ることにした。
急な階段を上って行き、振り返ると吉田川と新橋を見下ろすことができた。
竹藪に入ったり民家の横の細い路地を抜けたりすして登って行く。道には城まで1005歩とか930歩と書かれた指導標がたてられていた。
お寺の境内の横を通って急な道を登ると高い石垣の前に出る。石垣の沿って石段を登ると城の天守閣が見えてきた。
この天守閣は昭和八年に再建されたもので、中は博物館になっている。本丸のすぐ近くには「力石」が置かれていた。重さ350kg、長さ1m、厚さ30cmの石で、寛文七年に城の修復をしたときに通称赤髭という人夫が下の河原からここまで背負い上げたのだそうだ。
本丸からは郡上八幡の町を一望することができた。時間は5時近くになったので急いで城山から下ることにする。すぐに駐車場があって、その片隅には「首洗い井戸」があった。
車道を下って行くと郡上八幡ホテルで、その正面に「宝暦義民の碑」があった。これが有名な郡上一揆の記念碑なのだ。碑には円形のプレートがはめ込まれていて、そこに放射状に名前が書かれている。傘連判状といって、前後上下がわからないように円形に書かれたものなのだ。
ここから少し下ると広場があって、そこに大きな銅像がたっている。山内一豊と妻の像である。山内一豊といったら四国の土佐と思ってしまうのだが、一豊の妻の千代は郡上八幡初代城主の遠藤盛数の娘だという説があるのだ。それでこんな立派な像をたてたのかと感心してしまった。
車道を下って行くと右に安養寺があった。このあたりは城の三の丸跡なのだ。境内は広くて大きな本堂がたっていた。
この寺から少し下って平坦になったところで右折して北に向かう。お寺の境内の石垣に沿って清水が流れていて、そこにはアヤメが紫の花を咲かせていた。「童地蔵」がおかれた小さなお堂もあった。その先には小さな公園があって花壇の赤い花がきれいである。
この通りからひとつ西の通りに出ると郡上八幡博物館があった。大正時代の建物でかつては税務署だったのだそうだ。
ここから左折して、鍛冶屋町の通りに出る。長敬寺の前から南に歩いて行く。
古い町並みが続く。通りの両側には細い用水路があって、立ち並ぶ家々には「猫這い止め」という裾壁が設けられている。四国で見たうだつの町並みを思い出してしまった。この通りを歩いて行き、交差点で西を見ると小駄良川が通りに平行して流れていた。橋の向こうには立派な楼門を持つお寺が見える。近くまで行ってみたら大乗寺という寺であった。
鍛冶屋町を南に歩いてゆき、ふと東を見上げると、山が間近にそびえていてその上には郡上八幡城の天守閣が見えた。
古い家並みが続く。その家並みの一角には郡上おどりの銅像がたっている。郡上おどりというのは日本一の盆踊りというのだが、残念ながら見たことはない。この銅像でどんなものか想像するしかない。
通りの右に提灯が並ぶ門があって、これが宗祇水の入り口であった。細い路地の石畳を緩やかに下って行くと小駄良川の手前にお堂の立つ水場があった。宗祇水である。
連歌の宗匠として有名な宗祇はここに草庵を結んでこの清水を愛飲したのだという。せっかくなので飲んでみたがうまかった。
鍛冶屋町に引き返して、古い酒屋さんを見て吉田川を渡る。あとは商店街を西に歩いてJR駅に戻るだけである。


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郡上八幡駅


延命地蔵


古い家が並ぶ


願蓮寺


新橋から旧庁舎記念館


郡上八幡城への道


郡上八幡城天守閣


童地蔵のそばの小さな公園


長敬寺


宗祇水の入り口





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