北海道の旅 2011年 

江差とはアイヌ語で岬を意味するらしい。江戸時代の江差はニシン漁で賑わい、松前・函館と並んで蝦夷三湊と呼ばれたのだ。
明治以降の古い建物がたくさん残っているのだが、北海道の「歴史を生かす町並み整備モデル地区」に指定されてことから「いにしえ街道」として昔の町並みが復元されている。これを時間をかけてじっくりと散策した。



 東別院エリア
佐之市の碑


旧関川家別荘



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2011728

道の駅から車を走らせて江差町に着いた。この町は、北海道の「歴史を生かす街並み整備モデル地区」に指定されたことから、古い家並み「いにしえ街道」が復元されたのだ。今日はこれを見て回ろうと思う。
江差という名前はアイヌ語の岬を意味するものであるという。江戸時代には「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど、春先はニシン漁で賑わい、松前・函館と並んで「蝦夷三湊」と呼ばれたのだ。
江差の町に入ってゆく直前にいにしえ街道の中歌口という入口があった。ここから車を進入させると、正面に「東本願寺江差別院」があるので立ち寄ることにした。江差観光協会が発行するパンフレットではこの地域を「東別院エリア」としている。
江差散策はまずこのエリアから始める。
長い石段を上って境内に着く。立派な本堂がたっていた。ここでの見ものは「佐之市の碑」である。江差追分の曲調を完成させたのが佐ノ市である。
このお寺は高台にあるので、江差の町も一望できた。

いにしえ街道に戻って、ここから左に分岐する車道を走って行くと「関川家別荘」がある。
関川家というのは松前藩の御用商人で、苗字帯刀を許さた松前藩随一の豪商なのだ。どんな豪華な邸宅なんだと期待したが、見かけは漁場の番屋とほとんど変わらない。がっかりである。でも、池の残る庭園があった。



 姥神大神宮エリア
姥神大神宮


横山家


山側の家並み


東別院エリアから車を走らせて「姥神大神宮エリア」にやってきた。ここに車をおいて散策を始めた。

まず、姥神大神宮に参拝。神社の前には記念撮影用の小さな山車が置かれていた。この神社は鰊漁の守護神であり、江差の総鎮守である。例大祭の姥大神宮渡御祭では各町内から「ヤマ」と呼ばれる歴史ある山車が出て町内を練り歩くのだ。
神社本殿の右には山車のミニチュアが展示されていた。祭りが見れないので、これで我慢するしかない。
神社から出て、いにしえ街道を左に行く。
神社の向かいには「横山家」がある。約
160年前に建てられたもので、海に向かって緩やかに下る斜面に細長い建物が続いている。この横山家に沿って「姥神広場」が設けられていて、国道に向かって下ったところに山車の蔵があった。これは「北山土蔵」という歴史的建造物なのだ。
横山家からいにしえ街道を東に歩いて行くと、山に向かっい坂道がある。この坂道が法華寺坂で、名前の通り法華寺に続く道である。坂道から振り返ると、すぐ下に横山家があって、遠くには開陽丸のマストが見えた。法華寺本堂の天井には池大雅が描いたという「八方睨みの竜」があるというのだが、中に入ってみることはできなかった。
いにしえ街道に戻ると復元された家並みが続き、馬坂までの区間が姥神大神宮エリアである。




 中村家エリア
旧中村家


喫茶せき川


中村家エリアに入ると、右手に小学校の木造校舎のような建物があった。これは旧江差町役場の本庁舎だったもので、今は観光客のための無料休憩所になっている。この入口の左横には「江差町道路元標」があった。

このエリアの名前になっている旧中村家は国の重要文化財に指定されている有名な建物なのだが、正面は新しい白壁で軽薄な感じがしてしまった。でも、この奥に続く長い家屋がすごく歴史を感じさせるものであった。中村家は近江商人の種島屋宇兵衛がこの地で呉服商を営んだのが始まりで、その子孫が明治の初めに建設したのがこの建物である。
旧中村家の隣に酒屋さんのような建物があって、喫茶せき川という看板が出ている。これも歴史的景観形成建物なのだ。

ここからさらに進むと木村住宅があって、その先は一番最初に訪れた東別院である。
ここで引き返して、江差町会所会館の上にある旧檜山郡役所に向かった。



 旧檜山郡役所
檜山爾志郡役所


江差八勝


旧中村家の真向かいに丘に向かう坂道がある。この坂の上り口に石標があった。これは九艘川橋柱跡欄干であった。坂道を上ると旧檜山爾志郡役所がたっている。明治20年(1887)に建てられた洋館で、北海道で唯一残っている郡役所である。この群役所には警察署が併設されていたので、監獄なども復元されていた。館の人が説明・案内してくれたのだが、各部屋に張られた布クロスの美しさを自慢していた。
郡役所の前には曲がりくねった松があったが、これは「土方歳三嘆きの松」という名がつけられていた。榎本武揚とともに開陽丸が沈没する姿をみた土方がこの松を拳で叩いて嘆いたのだそうだ。
この広場の片隅には「江差八勝」の石碑があった。頼三樹三郎ら八人の文人が江差の絶景を詠んだ漢詩である。
郡役所から姥神大神宮に引き返して、最後の折居エリアを散策する。




 折居社エリアと開陽丸
北前坂


開陽丸


姥神大神宮に戻って、ここからから西に行くと、すぐに土蔵が並んでいた。檜山商事向土蔵と平野土蔵である。この向井には堀井家住宅と檜山商事横土蔵が並んでいた。そのすぐ先で広い車道が左に分岐する。これが北前坂で、ここの先が折居社エリアで、いにしえ街道の西端である。

いんやくストアーを過ぎると国道に出てしまう。ここがいにしえ街道の西端「姥神口」である。
車を走らせて行くと、すぐに帆船が見えてきた。これは江差港内で難破した江戸幕府の軍艦開陽丸を復元したものである。


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