道後温泉駅→坊ちゃん列車→道後公園→湯築城資料館→武家屋敷→子規記念博物館→伊佐爾波神社→宝厳寺→湯神社→道後温泉本館→坊ちゃんからくり時計

道後温泉は日本神話のときからの古い温泉なのだ。この温泉には夏目漱石をはじめとしてたくさんの文豪・歌人が訪れていて、その歌碑が多い。温泉のすぐそばにはかっての湯築城跡の城山があって、展望台からは道後温泉や松山市街を展望できるのだ。


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2007年4月4日

この前、松山城を散策したが、今日は道後温泉を散歩しようと思う。
路面電車の道後温泉駅から出発する。駅舎は古い感じの建物で、駅前広場には「坊ちゃん列車」が置かれていた。これは夏目漱石が小説「坊ちゃん」の中で、マッチ箱のような汽車と書いた軽便鉄道を復活させたものなのだ。これは実際、観光用に今も走っているのだ。
まず、子規記念博物館に行った。正岡子規は松山の人で、明治の俳句・短歌に画期的な業績を残した人である。ただ、結核に倒れ7年間の闘病の末、35歳で亡くなってしまう。私は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でしか、子規のことは知らないのだが。
子規記念博物館から道後公園に行った。この公園は湯築城跡で、堀で囲まれているのだ。
堀を渡って公園に入ると、すぐに石造り湯釜があった。これは温泉の湧出口に置かれたもので、道後温泉で明治27年まで使われていたものなのだ。
あとはひたすら城山の山頂を目指す。私はヤマヤだから、ともかく一番高いところに登ってしまうのだ。坂道を登って行くと桜が満開の広場の着いた。提灯が下がっていたり、青いシートが敷いてあったりで、お花見の真っ最中といった感じである。ここから少し登ると山頂で、展望台があった。展望台の上からは松山市街を一望できて、松山城も見えた。
お堀端まで下って桜並木の中を歩いて行くと、湯築城資料館があった。湯築城というのは建武年間(
13341338)に建てられた城で、伊予国の中心だったのだ。傍には武家屋敷が再現されていた。
堀端を半周して子規記念館に戻り、そこから細い路地を歩いて伊佐爾波神社に向かった。長い石段を上って行くと、鮮やかな朱の楼門がたっていた。3代藩主が石清水八幡宮を模してたてたのだという。建物は国の重要文化財である。
街路に戻ると、そこから先は酒場街のようで、アーチの門に「ネオン坂歓楽街」と書かれていた。
次に訪れたのは宝厳寺、天智天皇4年(665)開山というからすごい古刹である。時宗の開祖である一遍上人が剃髪した寺として有名なのだ。
これも長い石段を上る。境内にはたくさんの歌碑があって、そのなかに子規の歌碑もあった。

色里や 十歩離れて 秋の風

斉藤茂吉の歌碑もある。

あかあかと一本の道通りたる
霊剋るわが命なりけり


石段を下って、歩いてきた歓楽街を横切り、真っ直ぐに行くと湯神社がある。この神社は道後温泉を開いたという大国主命と少彦名命を祀ってているのだが、これも舒明天皇の時(
639)に建てられたというからすごい。
アーケードの商店街を通って道後温泉本館に向かう。
この建物は明治27年に建てられたもので三階建て。1階には大衆浴場の「神の湯」と「霊の湯」があり、2階は温泉を利用するひとの広間である。3階には夏目漱石ゆかりの「坊ちゃんの間」があって、これは見学することができる。私は二十歳の頃、初めて四国を訪れたのだが、そのときは均一周遊券を使って大阪から夜行できたのだった。この松山に着いたのもまだ暗い早朝で、朝一番の開館と同時に入浴したのを覚えている。
この本館の古い建物は道後温泉そのものといった感じだ。
これで道後温泉の散歩を終了。
駅前広場に戻ってきたら、「坊ちゃんからくり時計」が鳴っていた。


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道後温泉駅


道後公園のお堀


伊佐爾波神社


ネオン坂歓楽街を行く


宝厳寺本堂


湯神社


道後温泉本館





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