乃木神社→乃木旧邸→夢枕小路→国分寺跡→吉岡家長屋→覚苑寺→和同開珎鋳銭所→古江小路→菅家長屋門→長府毛利邸→高杉晋作回転義挙の碑→功山寺→笑山寺→忌宮神社→下関市立美術館→長府庭園


長府っていったいどこなんだと思ってしまうのだが、下関市の北東にある町で、江戸時代は長府毛利家の城下町だったのだ。明治天皇に殉死した乃木大将を祀る神社から歩き始めたのだが、古い城下町の面影を残していて、散策が楽しい町である。



 乃木神社
乃木神社


復元された乃木家の家族


乃木旧邸(裏)


BACK 秋芳洞

2008年5月17日

長府という名は、大化の改新の後に長門国の国府が置かれたことから呼ばれるようになったのだという。江戸時代には長府毛利藩
5万石の城下町で、幕末にはこの地で高杉晋作が挙兵して、長州藩を倒幕へと導くことになるのだ。
私はまず、乃木神社から差散策を始めることにした。
乃木神社というのは二百三高地を攻めたあの乃木大将を祀る神社である。乃木大将はこの長府藩の藩士だったのである。ただし、生まれたのは江戸屋敷で、生誕地の碑は六本木ヒルズの中にあるのだ。10歳の頃、父とともに長府に帰郷している。
乃木は日清・日露戦争で功績があったのだが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、文才があり人格者ではあったが、一軍の指揮者としてはどうしようもない凡将だったらしい。私は司馬遼太郎の説を信じているのだが。
明治天皇が崩御したとき、妻の静子と共に殉死をしている。この神社は乃木夫妻を祀っているのである。
本殿にお参りしてから、境内を散策した。まず、目に付くのが乃木夫妻の銅像である。そして、二百山高地の松があった。わざわざ取り寄せたのだろうか。「水師営の会見」の歌碑もたっていた。
本殿の裏には乃木旧邸が復元されている。乃木は16歳で萩に従学するまでこの家に住んでいたのだ。家の中には父・母・少年乃木の三体の木彫が置かれている。家は六畳と三畳の二間だけで、けっこう質素なものであった。




夢枕小路


国分寺跡・吉岡家長屋のある交差点



覚苑寺の入口

 夢枕小路から覚苑寺へ


神社から覚苑寺に向かう。神社の横の夢枕小路を行くのだが、この細い路地がすごくいい。練り塀の細い道を歩いて行くと、江戸時代にタイムスリップしたような感覚におそわれる。

夢枕小路から車道に出て、これを北に少し行った交差点に国分寺跡の碑がたっていた。長府には長門国の国府が置かれていたのだから、当然国分寺もあったのだ。でも、今はその跡形もない。
ここには吉岡家長屋もある。江戸時代後期の建物だというのだが、そんな古いものには見えなかった。
ここから西に真っ直ぐ歩いて行くと覚苑寺で、長州藩三代の毛利綱元が創建した黄檗宗の寺である。
参道の横に狩野芳崖の銅像があった。狩野芳崖は長府藩の御用絵師の子として生まれているのだ。絵師といったらキャシャなイメージを持っていたのだが、すごく厳つくて堂々とした風貌であった。私の好きな作品は「悲母観音図」で、昔、大川橋蔵主演の「新吾十番勝負」のタイトルバックに使われていたのが、すごく記憶に残っている。

このすぐ先には「史跡・長門鋳銭所址」の石標がたっていた。日本最初の金属貨幣「和同開珎」はここで鋳造されたのである。(近江・河内・播磨でも鋳造されたらしいが…)
本堂はいかにも黄檗宗らしい建物であった。この境内には乃木将軍の銅像があって、台座には

武士は 玉も黄金も なにかせん 
いのちにかえて 名こそをしけれ


という歌が刻まれていた。



 古江小路から長府毛利邸へ
途中にあった長屋門


長府毛利邸の大手門


国分寺跡の交差点まで戻って、ここから南に歩いて行く。この道が練り塀のいかにも武家屋敷通りといった感じなのだ。この通りの左に古江小路があって、ここには菅家長屋門があった。藩侍医を代々務めた家柄で、それにふさわしく練塀が40mもあって、そこに格子窓もつけられている。

ここから少し行くと、長府毛利邸がある。この建物は明治に建てられたもので、江戸時代ではないのだ。でも、ここには明治天皇も宿泊されている。
この入口に総社址の碑があった。総社といったらすぐに出雲を思ってしまうのだが、この地名はけっこうあちこちにあるのだ。律令制度では中央から派遣された国司は管内の官社を巡拝するのが義務だったのだが、参拝の便宜をはかるために管内の神社を集めて総社としたのである。要するに国司がさぼるために建てた神社なのだ。国衙に近いこの地に長門国の総社があったのである。
この石碑から石畳の道を行き、大手門をくぐる。邸宅は重厚なもので、正面玄関の横から中に上がる。邸宅の中には明治天皇の御座所も残されていた。
庭園は池泉回遊式庭園・枯山水・書院庭園の3つがある。でも、正直、私には庭園の良さというのはよくわからない。




途中で見た長屋門


高杉晋作回転義挙之所


功山寺が見えてきた


功山寺の参道


功山寺の仏殿


 功山寺へ


毛利邸から功山寺に向かう。この途中にも古い長屋門があったりして、歩いていて楽しい。
功山寺の入り口に「高杉晋作回天義挙之所」という石碑がたっていた。

ここでちょっと幕末の長州にふれたい。幕末の長州藩は、司馬遼太郎に言わせると、ほとんど集団発狂したのかと思うような過激なテロ活動を、藩をあげて行っているのだ。そもそも。ときの藩主毛利敬親は無能に近い人物で、家臣からの申し出はなんでも「そうせい」といってしまういいかげんさで、このため尊皇攘夷の下級武士が藩政を牛耳るようになってしまうのだ。尊皇攘夷というのは、当時の流行のようなものなのだが、長州の超過激派は攘夷公家と組んで、孝明天皇が大和に行幸するときに攘夷の断固実行の勅命を出させようとしたのだ。それに従わないときは錦の御旗を押し立てて、幕府を攻めることまで考えていたのだ。でも、この陰謀は事前に察知されて、長州及び攘夷派の公卿は京を追われることになる。これが文久の政変(1863)である。
でも、長州の過激派はこれを挽回するために、京の町に火を放って、その混乱に乗じて孝明天皇を奪回しようという陰謀をはかる。この過激長州藩士を討ったのが新撰組で、これが有名な池田屋事件である。藩士を討たれた長州はいきり立って、京で挙兵して御所に迫るのだが、これが禁門の変である。御所を守って、長州軍と闘ったのは会津と薩摩である。長州はこの戦いで敗れ、以後、長州は薩摩と会津を徹底的に憎むようになるのだ。
禁門の変では、長州が禁裏に向かって発砲したということで朝敵になってしまい、幕府は第一次長州征伐を行うことになる。これによって、長州藩内では幕府恭順派が実権を握ることになるのだが、このとき立ち上がったのが高杉晋作なのだ。その高杉晋作が挙兵したのが「高杉晋作回天義挙之所」の石碑の建つところで、晋作は藩内クーデターを成功させて長州藩を倒幕へ導くことになる。回天の義挙というわけである。
私は幕末の流れを知るにつれて、幕府は本当にかわいそうだと思ってしまうのだ。当時の軍備では攘夷というのは絶対に不可能なのだ。冷静に考えたらわかることを、発狂したような過激攘夷浪士によって幕府は倒されてしまうのだ。政権がひっくりかえったとたんに攘夷論は消えてしまう。ずるいではないか。
寺門をくぐると林の中に長い参道が続いている。すごく大きな寺である。
林の奥に大きな二重櫓造りの山門が見えてくる。
お寺の門には山門とか三門と名前がついているのだが、これは別のものなのかとか三つ目の門なのかと不思議に思っていた。でも、この門の前にたつ説明版でやっと本当のことがわかった。
山門と三門は同じことで、三解脱の門を意味しているのだ。三解脱というのは、空・無相・無作のことである。三解脱をして本尊のある本堂に入るということなのだ。三解脱門を略して三門というのである。
三門をくぐった正面には仏殿がある。この仏殿は鎌倉末期の代表的な唐様(禅宗様)建築物で国宝に指定されている。
境内には馬上姿の高杉晋作像があった。ここで挙兵したときの姿である。



 笑山寺から忌宮神社へ
笑山寺の門


忌宮神社


功山寺から笑山寺に向かった。参道を引き返してから、まっすぐに行って、壇貝川を渡ると右に笑山寺がある。
この寺は長府藩祖の毛利秀元が祖母の菩提寺といしてたてたもので、境内には鎌倉時代の十三重石塔が残っているのだ。これを見るために立ち寄った。高さは
3m以上もある花崗岩の石塔であった。
あとは車を停めた乃木神社に引き返すのだが、古江小路を通っていった。やっぱりこの武家屋敷通りはすばらしい。
乃木神社の隣に忌宮神社があるので立ち寄った。
長門国の二ノ宮で、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀っている。

この地は仲哀天皇が熊襲討伐のために、七年間も仮の皇居としたところなのだ。豊浦宮という。
神社はさすがに広くりっぱなものである。境内には宿禰の銀杏という古木があった。竹内宿祢が植えたという大銀杏である。




下関市立美術館


長府庭園


 長府庭園


あとは車に戻ったのだが、せっかくなので、長府庭園にも寄ることにした。車で国道
2号線を少し走ると下関市立美術館がある。ここに車を止めて、美術館を見てから長府庭園に行くことにした。この美術館には狩野芳崖や岸田劉生の絵があるのだ。美術館の庭には近代彫刻がいくつもおかれていて楽しかった。
長府庭園は、長府毛利藩の家老格であった西運長の屋敷跡である。約31,000uの敷地に、池を中心に書院・茶室・あづまやが残っている。この庭園をのんびり散策して、長府の観光を終えたら、時間は1630分を過ぎていた。


NEXT 竜王山

BACK 山陽・山陰の旅






総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介
















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送