こしきだけ

標高 1016m
大沢川登山口→水場→馬立沼→寺屋敷跡→展望台→青雲の志碑→甑岳山頂

この山は村山市のすぐそばに傍に聳える山で、幕末の頃の蘭学者「最上徳内」がこの山に登って、青雲の志をたてたのだそうだ。
甑岳

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2004年10月14日

黒伏から明日の登山予定の甑岳登山口に向かう。
そんなに遠くはない。
村山で買い出しをした。道路に面してスーパーがあったからである。

途中、温泉に入りたかったが、探すことができなくて、そのまま登山口に向かった。
村山から山に向かってどんどん走って行くと、右に入る道があるのだが、最初この道を見逃した。見逃してしまうほどすごく狭い道で、入り口には登山案内の看板があったのに見逃してしまったのだ。
この細い道を山に向かって走って行く。そうしたら、急なカーブのすさまじいく登りの道になった。車が登って行けない。
仕方がないので一旦引き返した。そこで山から降りてきた人と逢って、登山口はこの道でいいのか確認した。間違いなくこの道の行き止まりが登山道入り口らしい。
車の横にテントを張って泊まるつもりだといったら、熊が出るかもしれないから止めたほうがいいと言われた。最近のテレビのニュースでは、人里に熊が頻繁に出没していて、それでけっこう人が襲われているのだ。テントはあきらめて、車の中で寝ること決めた。
四駆にギヤを切り替えて登って行くと、楽に急坂をクリアできた。四駆の力はすばらしい。
登山口の前には車が2台ほど停めれるスペースがあった。
そこは水で濡れていて、とてもテントが張れるような状況ではなかった。やっぱり今夜は車で寝るしかない。
車の横に椅子・テーブルを置いて、まずは夕食の焼き肉。この間、車のステレオで音楽をガンガン流した。熊除けでもある。
焼き肉が終わってからは車の中に入って、焼酎を飲みながらDVDをみた。2本も映画を見てしまったので、寝るのが12時になってしまった。それにちょっと酒を飲みすぎてしまった。

1015

3時頃雨が降り出した。今日の登山はあきらめなければいけないか…と思いながらウトウトしていて、6時に目が覚めると、意外と青空が見える。うれしい。
でも、昨日飲み過ぎた酒のせいで頭がすっきりしない。グズグズしていたのだが、ともかく出発することにした。

朝食は抜きで、スタートしたのは7時半頃である。
まず橋を渡って、樹林の中を緩やかに登って行く。杉木立の中の道である。
傾斜がきつくなって、前方が明るくなる。もう稜線に着いたのかと思ったらそうではなくて、ここが馬立沼の入り口であった。登山道は右に曲がる。沼に立ち寄りたかったが、それは帰りにした。
ともかく樹林の中をひたすら行く。
登山道には栗がいっぱい落ちている。今は熊が冬眠にそなえて食いだめする時期で、それは栗の実が多いのだそうだ。そう思うと、近くに熊が潜んでいそうで、不気味でである。熊除けの鈴を大きく鳴らしながら、急いでここを通り過ぎた。
急な道を登って、ようやく稜線に着いた。甑岳は左に向う。
樹林の中を急登すると30分ほどで展望の開けたところに着いた。そこに「徳内坂」という案内があったが、ガイドブックに書かれている「青雲の志」の碑はなかった。
この徳内坂という急な道を登る。振り返ると村山の市街が広がっている。遠くの山々には厚い雲がかかっていた。
10分ほど急登すると山頂広場に着く。けっこう広い山頂である。
ここにはさっきなかった「青雲の志」の碑があった。移設したみたいである。
ガイドブックにはこの山頂はブナ林に囲まれて展望はきかないと書かれていたのだが、けっこう展望が開けている。
私のもっている「東北百名山」の本は1990年のもので、今から14年も前のものなのだ。買い直したほうがいいのかもしれないが、残っている山は20ほどである。もう少し我慢しよう。
山頂で休憩。かりんとうを食べながらコーヒーを飲んだ。
天気がだんだん悪くなってくる。厚い雲が頭上に広がり始めているので、急いで下ることにした。
どんどん下って、栗林を通過したところで老年の夫婦が登ってきた。この山に登るのは私のような物好きだけと思っていたので、少し意外だった。
すぐに馬立沼の入り口に着いたので、ここで沼に向かう。
沼は深い樹林に囲まれてひっそり湖面を広げていた。
登山口に戻ったのは1015分である。


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まず、橋を渡る


馬立沼の分岐


稜線に着く


山頂まで500m


徳内坂、山頂は近い


甑岳山頂の三角点


山頂の石の祠


馬立沼


登山口に戻ってきた





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