伯母石の前で道は左折する。すぐに岩がゴツゴツする登りになって、頭上には巨岩がそそり立っている。この巨岩の横を上ると、大きな岩が累々とする尾根に出た。あまりにも険しい道なので、道を間違えたのではないかと思った。ガイドブックを確認したら、伯母石から道は左右に分かれていて、やがては合流するらしい。それなら安心である。岩稜をたどると、石仏がたくさん置かれたピークに着いた。いかにも修験道の山である。展望が開けて、行く手に岩木山山頂が見える。(見えているのは山頂ではないのだが…)
いくつもの大きな岩を越えて尾根をたどるとシャクナゲが咲いているのを見つけた。岩木山も今が花の時期のようである。
樹林の中に下ると石の祠があって、右からくる道に合流した。この先は歩きやすい道に戻った。ブナと灌木の林を登って行く。日が射して緑が輝いている。
笹藪が目立つようになって、それが道に覆い被さっていて、掻き分けながら登らなければいけない。
樹林から抜けだすと展望の尾根で、少し行くと御堂や石仏が並ぶ「鬼の土俵」に着いた。ここには17・18・19番の観音像がたっていた。不動明王像もあったが、これは番外のようである。
鬼の土俵からはすばらしい展望が広がっていた。朝は曇っていたのに、すっかり晴れているのだ。行く手には崩落した絶壁を持つピークが見える。岩木山はすごいと思った。(でも、これは岩木山山頂とはまったく関係なくて、赤倉山から北西に延びる尾根の途中にある赤倉沢源頭なのだ)
この先、赤倉山に向かっての急登が始まるので、長目の休憩をした。
鬼の土俵から笹藪の間を行き、すぐに灌木の間を急登する。道には異様にねじれた枝を持つ松があちこちで見ることができる。ハイマツだろうか…。
途中にあった二十番の石仏は真っ二つに折れていた。痛ましい。
時々展望が開けると、その度に赤倉源頭が大きく迫ってくる。標高差もあまりなくなってきた。(これで山頂とはまったく違うことに気がついた。)
灌木から抜け出して、展望の開けた尾根を行くと、「大開き」に着いた。ここには22・23・24番の観音像が置かれていた。ここに着いたとき、赤倉源頭には雲がかかっていて、今日はもう展望はダメなのかと思っていたら、次第に雲が薄れて、はっきりと見えるようになった。すばらしい眺めである。うれしくなってしまった。
行く手に赤倉源頭を見ながら、ルンルン気分で歩いて行く。灌木のトンネルに入って急登する。
灌木から抜け出すと、笹と背の低い草木が絨毯のように広がって、その奥に三つのピークを持って鋭く聳える山が見える。これが岩木山山頂であった。丸い丘に向かって緩やかに登って行くと、その頂には御堂がたっていた。ここが赤倉山かと思ったらそうではないのだ。
御堂の後ろに踏み跡が続いていて、指導標には赤倉源頭と書いてあった。少し行ってみたが、険しそうなので引き返した。
御堂からは岩木山山頂の眺めが本当にすばらしい。これに登るのかと思うと、本当にうれしくなってしまうのだ。
岩木山山頂に向かって緑の稜線が続いているのだが、この途中のピークが赤倉山である。岩木山と赤倉山の鞍部には雪渓が見えた。あれを横切ることになったら、ちょっとヤバイ。(不安は的中で、この雪渓を恐る恐る登ることになるのだ)
この頃から、道に濃い桃色の花がたくさん見られるようになった。この花はミチノクコザクラといって、岩木山の特産種なのだ。
赤倉山に向かって、草原の尾根を行くと、4体並んで立っていた。28・29・30・31番の観音像である。山頂間近になったものだから、めんどうになって、ここに並べてしまったのかと思ってしまった。
灌木の茂る尾根の右を歩いて行くと、行く手に岩山が見えてきた。巨岩が重なるピークである。この前に着くと、32・33番の石仏があった。三十三番の立つところが山頂のはずなのだが、ここは岩山の下である。累々とする巨岩を上ってみようかと思ったが、上には何もないようなので止めた。
さらに灌木の間を歩いて、尾根を回り込むと広場に着く。大きな聖観音像がたっていて、その少し先には赤倉大権現の大きな石碑が立っている。聖観音が立つところが山頂とあるので、ここが赤倉山山頂のようである。ここからは目の前に、岩木山山頂が鋭く聳えている、すばらしい眺めだ。
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