私の東北の山百選
一切経山 1948m
昭元山 1892m
東大巓 1927m
浄土平駐車場→50分→酸ヶ平避難小屋→40分→一切経山山頂→40分→家形山物見岩→50分→兵子分岐→1:00→烏帽子山→35分→昭元山→45分→大倉新道分岐→15分→東大巓→30分→明月荘

私が初めて吾妻山に登ってからもう23年も経ってしまった。もう一度登りたいと思っていたのが、今回の北陸登山旅行のついでにチャレンジすることにした。晴れの日を選んだつもりだったが、大雨になってしまって、散々な目にあってしまった。
噴煙を上げる一切経山

 浄土平駐車場から分岐へ 1989年の登山記録


浄土平駐車場


浄土平湿原を行く


立ち入り禁止になっていた


階段が木道に変わる


分岐、ここで右折する

2012922

自宅を夜遅く出発して、高速のサービスエリアに泊まり、吾妻山の登山口に着いたのは745分である。吾妻山の登山口、浄土平までは有料道路の「磐梯吾妻スカイライン」を走るのだが、現在は無料開放されている。これは東日本大震災で激減した観光客誘致のためらしい。さらに、浄土平の駐車場も本来は有料なのだが、これも無料開放されていた。(でも、考えて見ると、有料道路で金をとって、その有料道路の中の駐車場でも金をとるなんて、福島県はずいぶん暴利を貪っているではないか)
浄土平のすぐ傍に吾妻小富士があるのだが、これは明日登ることにして、一切経山に向かう。
駐車場からは浄土平湿原の中に伸びる木道を行く。湿原にはたくさんの高山植物が咲くらしいのだが、晩秋の今は花はまったく咲いていない。この湿原からは噴煙を上げる一切経山の眺めがすごい。

木道から普通の道になったところに一切経山の登山口があるのだが、そこは通行止めになっていた。火山活動が活発で、有毒ガスが噴出しているらしいのだ。
一切経山が通れないないと縦走を断念するしかないのだが…、困った。地図を確認すると、酸ヶ平からも一切経山に登る道があるので、それを頼りに行って見ることにした。すぐに姥ヶ平と酸ヶ平の分岐に着いたが、酸ヶ平への道にも立入禁止の標識がたっていた。やっぱりダメなのか…とあきらめようとしたが、よく見ると道は閉鎖されていない。この標識は一切経山山頂からさっきの閉鎖された登山道を下ることを禁じたものであった。
よかった、登れる。
この先、道には大きな岩がゴロゴロしていてすごく歩きにくいのだが、展望は開けていて、右に一切経山が白い噴煙を上げて聳えている。登って行くにつれて、後ろには吾妻小富士の火口がだんだん見えるようになった。
道は階段になって、次第に傾斜がゆるまると木道に変わる。平坦な木道を行くと、右の山の麓に小屋が見えてきた。これが酸ヶ平避難小屋で、後ろにそびえているのが一切経山なのだ。さっきまでは噴煙を上げる険しい山肌を見せていたのだが、それは前衛であって、本当の山頂に火山活動はないのだ。

すぐに分岐に着いた。直進すると鎌沼経由で酸ヶ平に至り、一切経山へはここで右折するのだ。



 一切経山山頂へ
避難小屋が近づく


一切経山まで600m地点


山頂は近い


一切経山山頂


分岐から草原の中を緩やかに登って行くと、
5分ほどで避難小屋に着いた。二棟建っているのだが一つはトイレである。小屋の中を覗いてみると広い土間で、壁ぎわにベンチが設けられている。寝るときはこのベンチを使うしかないようだ。
避難小屋からは深くえぐれた沢に沿って登って行く。
登山道にはロープが張ってある。急なのでこれにつかまれという意味なのか、登山道から踏み出すなという意味なのかよくわからない。登山道には大きな岩がゴロゴロしていて、岩礫の不安定な道である。これをひたすら登って行く。

傾斜がゆるまったところに一切経山まで600mの指導標がたっていた。振り返ると、眼下には酸ヶ平の草原が広がり、その右奥に鎌沼が見える。酸ヶ平の後ろにそびえているのが東吾妻山で、すばらしい眺めである。
ここからは両側に保護ロープが張られた広い道を緩やかに登って行く。大きな岩が転がる道を緩やかに登って行くと、山頂が見えてきた。いくつもの柱や標識がたっているのが見える。
山頂に着いたのは915分。岩を積み上げた大きなケルンのようなものがあって、そこには卒塔婆のようなものが立ち、「空気大感謝塔」という標識があった。これはいったい何なだろう。
このケルンから少し行ったところに山名標識があって、すぐ傍には三角点があった。山頂はすごく広いのだが、少し下ると、眼下に五色沼を見ることができる。一切経山のすばらしさは、この「五色沼」の眺めにあるといっていい。湖水はセルリアンブルーですばらしい色合いだ。そして、五色沼の左に連なる山稜はこれから辿る縦走路なのだ。大満足の展望である。これを眺めながら休憩した。



 家形山へ
大きな岩に着いた


石碑があった


物見岩山頂


家形山山頂


一切経山山頂からはザラザラの岩礫の斜面を急下降する。足下が不安定なので、慎重に下らなければいけなかった。どんどん下って、この急斜面の途中にある大きな岩に着いた。この岩の上からは五色沼の眺めがすばらしい。

ザラザラの道をさらに急下降して、一旦、樹林の中に入る。傾斜がゆるまると樹林から抜け出して、木道になった。少し行くと、五色沼のすぐ横の裸地の広場に着いた。ここからは間近に五色沼の湖水を見ることができる。
何と書いてあるのかよくわからない石碑(遭難碑らしい)を過ぎ、緩やかに登って行くと指導標があって、ここから家形山への急な登りになった。
大きな岩がゴロゴロする道を登って行くと、行く手には岩壁を持つ山頂が見えてきた。これが家形山らしい。(実は家形山の山頂というのはよくわからないのだ。このピークは物見岩で、家形山は東西に長い稜線となっているのだ。)

岩に書かれた矢印に従って急登してようやく山頂に着いたが、ここには大きなケルンがあるのに山名の標識はなかった。積まれた岩の間に三角点らしきものがあったが、三角点という文字は読めなかった。でも、ここからは五色沼の眺めがすばらしい。沼の上には一切経山がそびえていて、絶景である。
物見岩からは笹の間に続く平坦な尾根道を行く。5分ほど行くと指導標があって、東大巓へはここで左折するのだ。直進は高倉新道で五色温泉に至る道である。
左に小さな水たまりのような池を見て、ぬかるんだ道を飛び石で通過し、樹林の中に入ると指導標があった。驚いたことに、そこには家形山と書かれていた。
ここが家形山山頂なのか。それにしては平坦な登山道の分岐点にすぎない。直進すると滑川温泉で、ここで左折すると東大巓なのだ。地図の等高線を見ると、確かにここが一つのピークになっているようでもある。



 昭元山へ
背の高い笹藪になった


烏帽子山頂



昭元山山頂


家形山の分岐からは泥濘が多くなった。そんなところには飛び石が置かれていて、これを伝って歩いて行く。道の両側が背の高い笹藪になって、これをかき分けるようにして行くと、堀田林道口の標識があった。このすぐ先で、岩のピークが見えた。これがニセ烏帽子なのだろうか。(違う)
ここから少し行くと兵子の指導標があって、緩やかな登りを25分ほど行くと樹林の中にニセ烏帽子の指導標がたっていた。ニセとはいえ、烏帽子と名がついているのだから、すごく鋭いピークだと思っていたのだが、樹林の中の平凡なピークにすぎなかった。
ここから笹藪をかき分けて急下降する。
鞍部からはすごい急な登りになった。傾斜が緩まるとシャクヤクの群落があって、その灌木帯から抜け出すと、そこが烏帽子山頂であった。二人の登山者が休憩していた。
展望が広がっている。行く手には昭元山とその奥に東大巓が高くそびえている。その山並みの左下に湿原が見える。明日通る谷地平である。
烏帽子山からの下りはきつかった。大きな岩が累々と重なっていて、これをペンキ印を目印に下るのだ。ようやく樹林帯に入るが、やっぱり登山道には大きな岩が多くて、すごく歩きにくい。
岩が終わって平坦になったら、今度は水がたまる泥濘であった。これを飛び石を伝って歩いて行く。
鞍部からシラビソの林の中を登り返す。急な登りが続き、振り返ると烏帽子山が坊主頭のようにそびえていた。

昭元山山頂に着いたのは1325分。山頂には三等三角点があった。歩いてきた山々を振り返るとずいぶん雲が湧き上がっていて、烏帽子山の後ろは雲に隠れていた。



 東大巓から名月荘へ
道は水溜まり


谷地平分岐


東大巓山頂


小屋の中


シラビソの林の中を行く。道の両側は笹藪で、所々泥濘になっていて飛び石が置かれている。緩やかなアップダウンを繰り返して行くと、湿原のようなところに出た。小さな池塘が散らばっていて、なにかしら庭園のようである。

樹林から抜け出すと、目の前には平らかな東大巓が見えた。このあたり、道が大きな水溜まりになっていたりで、通過に苦労した。
谷地平の分岐に着いたのは1420分。明日はここから谷地平に下るのだ。谷地平への道は「大倉新道」といって、木道で湿原の中を行くのだった。これは明日の楽しみにして、東大巓を目指す。
笹藪やハイ松に隠れる木道を緩やかに登って行く。池塘が散らばる湿原を通過して、笹藪の間の木道を登ると、東大巓の分岐に着いた。分岐といっても、ほんの少し上ると東大巓山頂なのだ。笹藪に囲まれていて、展望はない。記念写真を撮ってすぐに引き返した。
緩やかに下ると木道が終わって、笹藪を切り払ったあいだの道を行く。
再び木道が現れると、すぐに山小屋への分岐であった。
この分岐から今夜の泊まり、弥兵衛小屋(明月荘)までは20分である。木道を緩やかに下って行く。視界は開けていて、湿原が広がる。
草紅葉の草原を眺めながら下って行くと、小屋が見えてきた。明月荘に着いたのは1510分である。小屋にはけっこう多くの登山者がいた。でも、二階建てなので、寝る場所に困ることはなかった。
この小屋の近くに銀名水という水場があるので、まず水汲みに行った。ところが、行けど行けど水場はなくて、どんどん下って行く。ようやく水場の標識があったが、それは銀名水ではなくて金名水であった。そしてようやく着いた金名水は水が涸れていて、ポタポタと滴る程度で、とても水汲みはできなかった。今、ザックにあるのは1リットル程度で、明日の行動時の水をどうするか困ってしまった。
ともかく水汲みはあきらめて、小屋に引き返した。



 大雨の中下山
滑りやすい木道を引き返す


分岐に戻った


谷地平分岐


樹木をかき分けて下る


道が川になってきた、引き返すしかない


駐車場に戻った


2012
923

朝一番で水汲みに行った。昨日はほとんど水が枯渇していたのであきらめたのだが、今日はどんなに時間がかかっても一定量の水を確保するつもりだ。金名水で30分ほどかけてなんとか1リットルほどの水を補給した。滴る水をコップで受けていたのだが、その間に雨がパラパラし始めた。今日の天気予報は曇りで、雨ではないのだが…。
小屋を出発したのは725分。小雨なので、しっかり雨具を着ての出発であった。
木道を歩いて行くのだが、濡れているとすごく滑りやすいくて、慎重に歩かなければいけなかった。20分ほどで分岐に戻った。本当はここから西吾妻山を往復するつもりだったのだが、雨で展望もないのであきらめた。
大倉新道の分岐に引き返すのだが、途中、もう一度東大巓山頂に寄った。昨日は逆光でうまく写真が撮れなかったのだ。
濡れて滑りやすくなった木道を慎重に下って、大倉新道分岐に着いたのは817分。この頃雨が強くなってきた。
湿原を右に見ながら木道を行き、樹林に入ると下りになった。ところが困ったことになった。登山道を雨水が川のように流れるようになって、下るにつれてその流れは激しいものになった。まるで沢登りをしているようで、狭い登山道いっぱいに水が流れているのだ。最初は靴をぬらさないようにと、足の置き場に気をつけて下っていたのだが、靴の中もビショビショになって、どうでもよくなってしまった。
40分ほど下って平坦地に着いたが、その先は再び急な下降になった。雨水の流れがさらに激しくなる。それでも、下って行ったのだが、登ってくるパーティとすれ違った。彼らは昨日、同じ山小屋に泊まっていた人で、この先にある沢は徒渉ができないほどの増水しているという。徒渉しようにも腰ほどの深さであきらめて引き返してきたのだそうだ。
私もあきらめることにした。谷地平を通行できないということは、昨日縦走してきた稜線を戻るしかない。

谷地平分岐に戻ったのは107分、ここからは昨日の道を引き返すのだ。雨はどんどん強くなって、昨日は泥濘だった道は今日は沼のようになっていた。
昭元山通過は1115分、烏帽子山1213分、ニセ烏帽子1257分、家形山三叉路1357分。
一切経山へ登り始めるとすさまじい強風になった。風で体温が奪われすごく寒い。冷たい風雨に震えながら山頂を通過したのは
155分、酸ヶ平避難小屋に逃げ込んで少し休憩。パンをかじって少し腹に入れる。
走るように下って浄土平の駐車場に戻ったのは
1620分であった。
なんとか生きて戻れた。


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