七合目からも急な階段の登りは続いて、10分ほど急登すると広い平坦地に着いた。左には広い石段が設けられている。これが観音堂への石段であった。観音堂のあるところが富山南峰である。もちろん、南峰に登るのだ。階段の途中から振り返ると、踊り場には石組みが設けられていて、これが仁王門の跡であることがわかった。
石段の上は広い境内で、その真ん中にお堂がたっている。でも、戸は壊れかけていて、倒壊寸前であった。中を覗いて見たら、小さな観音像が祀られているだけであった。
南峰山頂に向かう。観音堂の後ろが丘になっていて、そこに電波塔の施設が見える。
これが山頂だろうと思って登ろうとしたが、ちゃんとした道がない。仕方がないので、急斜面を強引に登って丘の上に着くと、電波塔の施設の手前に東屋があった。東屋には展望図が掲げてあって、その横には「富山
標高342m」とかかれた標識もあった。
展望図はあるのだが、山頂は樹林に囲まれていてまったく景色を見ることはできないのだった。
ここから北峰に向う。その道を探したが、どうしても見つからない。この先、北峰に縦走はできないのかとあきらめて、石段を下って登山道に戻ると、道は直進して続いているのに気づいた。縦走路はこの道を行くのだ。
樹林の中の平坦な道を行くと、すぐに鞍部に着いた。そこには南峰から下ってくる階段道があったが、通行止であった。途中で崩落しているらしい。この鞍部から左に下ると伏姫籠窟で、帰りはこの道を下るのだ。
すごく広い平坦な道を行くと、「ボタンスギの巨木」という説明板がたっていた。下の斜面に大きなスギの木が見える。樹齢は300年以上で、葉が普通よりも丸みをを帯びているのでボタンスギというのだそうだ。
このすぐ先に、新しい東屋がたつ広場があった。ここは車道の終点にもなっていて、東屋からは海が見えた。東屋の横には「里見八犬士終焉の地」の標柱が立っている。里見八犬士というのは、滝沢馬琴の創作である。どうして、こんな標識があるのかわからない。
樹林の間の遊歩道を行くと、すぐに急な階段の登りになった。傾斜が緩まると、道の右には石碑がいくつかたっていて、その先にトタンのすごく汚い小屋がある。前まで行ってみたら金比羅宮であった。
この後ろが小高くなっていて、そこに富山山頂の標識があった。標識の下には三角点があった。ここの展望は開けているのだが、遠くはかすんでよく見えない。
山頂からすぐ先に大きな広場があって、そこに立派な展望台がたっていた。
広場には皇太子一家がここを訪れたという記念碑があった。その周りには皇族のお印という樹木が植えられている。皇太子は梓、雅子妃は浜茄子、愛子さまは五葉ツツジなのだ。浜茄子が花をつけていた。
せっかくなので展望台に上った。展望台の手すりには、三宅島、大島、富士山という名札がつけられているのだが、遠くは霞んで何も見えない。でも、今登ってきた南峰を眺めることができ、すぐ近くの海岸線も見ることができた。
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