2010年春関東登山 
とみさん

標高 349m
登山者用駐車場→10分→福満寺→35分→七合目展望台→17分→南峰→10分→北峰山頂→50分→伏姫の籠窟→15分→登山者用駐車場

富山は双耳峰の独特な山容のため、遠くからでもすぐ見分けがつくのだ。この山は里見八犬伝のゆかりの山で、山頂には八犬士終焉の地の碑もあるし。山麓には伏姫の籠窟もあるのだ。八犬伝は滝沢馬琴の創作と思っていたが、この史跡群は何ナノダ…と思ってしまう。
伊予ヶ岳から望む富山

 登山者用駐車場から七合目展望台へ
登山者用の駐車場


福満寺


舗装道から樹林に入る


七合目の休憩ベンチ

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2010年5月10日

道の駅から車を走らせて、富山の登山口に向かった。すぐ近くなのだ。
JRの線路を渡って、山に向かって走ってゆくと、登山者用の駐車場があった。この駐車場の前が登山道の分岐になっている。私はここから車道を1kmほど歩いて、福満寺に至り、ここから富山に登って、帰りは伏姫籠窟を経由でここに下ってくるつもりなのだ。
身仕度を終えて歩き始めたのは615分である。まだ朝早いので車がほとんど走っていない。おかげで車道歩きも気をつかう必要がなかった。
10分ほどで福満寺の入り口についた。ここにはちゃんと「富山遊歩道入り口」という指導標が立っていた。
福満寺への参道にはツツジの花が満開で、その突き当たりには仁王門が見える。仁王門の前まで来ると、その門と中の仁王像がすごくちゃっちい。がっかりしてしまった。
登山道は仁王門の前を右折する。仁王門のすぐ横は広場になっていて、そこにトイレと休憩所があった。

舗装された細い道を行くとすぐに字路で、左の道を緩やかに登って樹林の中に入った。
すぐに急な階段の道になり、これを登ってゆくと林道に出てしまった。この林道を歩いて行くと道ばたに一合目の石標がたっていた。
少し先で左の柵の設けられた道に入る。ほとんど平坦な山道を行くと、二合目の石標がたっていた。
ここから柵が設けられた道を下って行き、緑の広場に着く。ここにはベンチがおかれていたが、標識はなかった。
この先は急な階段の登りであった。段差が大きくて、これを登るのはけっこうきつかった。途中、樹林の途切れるところがあって、ここにはベンチが置かれ、七合目の石標がたっていた。そうすると、さっきの鞍部は五合目だったらしい。ベンチが置かれていて、展望台のようになっているのだが、真っ白で何も見えなかった。



 南峰から北峰山頂へ
石段の前に着く


南峰山頂


鞍部に着いた


八犬士終焉の地の東屋


急な階段を登る


富山山頂


七合目からも急な階段の登りは続いて、
10分ほど急登すると広い平坦地に着いた。左には広い石段が設けられている。これが観音堂への石段であった。観音堂のあるところが富山南峰である。もちろん、南峰に登るのだ。階段の途中から振り返ると、踊り場には石組みが設けられていて、これが仁王門の跡であることがわかった。
石段の上は広い境内で、その真ん中にお堂がたっている。でも、戸は壊れかけていて、倒壊寸前であった。中を覗いて見たら、小さな観音像が祀られているだけであった。
南峰山頂に向かう。観音堂の後ろが丘になっていて、そこに電波塔の施設が見える。
これが山頂だろうと思って登ろうとしたが、ちゃんとした道がない。仕方がないので、急斜面を強引に登って丘の上に着くと、電波塔の施設の手前に東屋があった。東屋には展望図が掲げてあって、その横には「富山 標高342m」とかかれた標識もあった。
展望図はあるのだが、山頂は樹林に囲まれていてまったく景色を見ることはできないのだった。
ここから北峰に向う。その道を探したが、どうしても見つからない。この先、北峰に縦走はできないのかとあきらめて、石段を下って登山道に戻ると、道は直進して続いているのに気づいた。縦走路はこの道を行くのだ。
樹林の中の平坦な道を行くと、すぐに鞍部に着いた。そこには南峰から下ってくる階段道があったが、通行止であった。途中で崩落しているらしい。この鞍部から左に下ると伏姫籠窟で、帰りはこの道を下るのだ。

すごく広い平坦な道を行くと、「ボタンスギの巨木」という説明板がたっていた。下の斜面に大きなスギの木が見える。樹齢は300年以上で、葉が普通よりも丸みをを帯びているのでボタンスギというのだそうだ。
このすぐ先に、新しい東屋がたつ広場があった。ここは車道の終点にもなっていて、東屋からは海が見えた。東屋の横には「里見八犬士終焉の地」の標柱が立っている。里見八犬士というのは、滝沢馬琴の創作である。どうして、こんな標識があるのかわからない。
樹林の間の遊歩道を行くと、すぐに急な階段の登りになった。傾斜が緩まると、道の右には石碑がいくつかたっていて、その先にトタンのすごく汚い小屋がある。前まで行ってみたら金比羅宮であった。
この後ろが小高くなっていて、そこに富山山頂の標識があった。標識の下には三角点があった。ここの展望は開けているのだが、遠くはかすんでよく見えない。
山頂からすぐ先に大きな広場があって、そこに立派な展望台がたっていた。
広場には皇太子一家がここを訪れたという記念碑があった。その周りには皇族のお印という樹木が植えられている。皇太子は梓、雅子妃は浜茄子、愛子さまは五葉ツツジなのだ。浜茄子が花をつけていた。
せっかくなので展望台に上った。展望台の手すりには、三宅島、大島、富士山という名札がつけられているのだが、遠くは霞んで何も見えない。でも、今登ってきた南峰を眺めることができ、すぐ近くの海岸線も見ることができた。



 伏姫籠窟経由で下山
ジグザグに急下降する


伏姫の籠窟入口


伏姫舞台


富山中学校前に着いた


来た道を引き返して、鞍部から伏姫籠窟への下山路に入った。

急な階段をどんどん下って行くと、水場があった。「閼伽井」という木札があった。
階段は急斜面にジグザグにつけられていて、これを走るように下って行くと、
15分ほどで林道に降り立った。あとはこの舗装された林道をひたすら歩くだけである。
15分ほど林道を行くと白壁の塀が連なる立派な門の前に着いた。ここが伏姫籠窟の入り口である。門をくぐって、きれいに整備された階段を上ってゆく。
途中には休憩のための東屋が設けられていて、さらに長い階段を上ってゆくと、なにかしら大きな舞台のようなものが見えてきた。これが「伏姫舞台」で、八角形の大きな舞台なのだ。床には仁義忠孝悌礼智信の八犬士の文字があった。
舞台から右に急な階段を上ると籠窟である。何度もいってしまうのだが、伏姫も八犬士も滝沢馬琴の南総里見八犬伝の登場人物で、実在はしないのだ。それがどうして、こんなにもっともらしく遺跡がしつらえてあるんだ。…とつっこみながらも、私は急な階段を上ってやってきているのだが…。

籠窟の前に着くと、その入り口の門はしっかり閉じていた。せっかくやって来たのに…、と思いながらよく見たら、門の横をすり抜けることができる。
すり抜けて、洞窟の中を覗きに行った。中は屈まないと入れないほど狭いのだが、仁義忠孝悌礼智信の玉が置かれていた。
長い階段を引き返した。
林道を5分ほど行くと畑地に出て、すぐに富山中学校の前に着いた。ここから駐車場のある県道はすぐである。車に戻ったのは855分であった。


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