関東百名山
みかもやま

標高 229m
南口駐車場→20分→三毳神社奥社→10分→中岳→15分→三毳の関跡→30分→三毳山山頂→35分→弘法の硯石→10分→富士見台→10分→冒険砦→20分→南口駐車場

三毳山は栃木県の最南端にあって、万葉集にも詠われた山なのだ。私は小山市に住んでいたこともあって、この山はなじみの山でもあるのだ。今回はじっくりと時間をかけて散策してみた。
山頂直下の竜ヶ岳雷電宮

 登山口から中岳山頂へ
広い駐車場


三毳神社への階段道


日本武尊の足跡石


丸太の階段になった


三毳神社の鳥居


中岳山頂

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2008年10月11日

道の駅から
60kmほど走って、佐野市の近くの三毳山に登る。
関東平野の北を横切って行く。
深谷市羽生市、館林市と過ぎて国道
50号線沿いにある「道の駅みかも」に着いた。三毳山一帯は公園として整備されていて、山の東西南北に駐車場があるのだ。私は南口駐車場から三毳山の長い稜線を縦走するつもりなのだ。
南口駐車場はめちゃくちゃに広いのだが、車は数えるほどしか停まっていなかった。駐車場は17時には閉鎖されるらしいのだが、今はまだ1330分、十分帰ってこれるはずだ。
駐車場からすこし上がると南口広場があって、家族連れがたくさんいた。今日は土曜日でしかも三連休の初日なのだ。その広場では登山口がどこなのかまったくわからない。お店の女の子に訊いたらパンフレットをくれた。みかも山公園の遊歩道の地図が載っていて、東屋や広場がよくわかるのだ。
広場から登山道に向かおうとしたら、列車がやってきた。フラワートレインという公園内の乗り物なのだ。たくさんの家族連れが乗っていた。
南口広場から少し車道を行くと、右に遊歩道の入口があった。三毳神社に登って行く道で、階段が続いている。見上げるほどの急な階段がまっすぐに続いている。息を切らせて登って行くと、いったん車道に出てしまった。この道は「あじさい路」というらしい。これを横切ったところにある指導標にはこのすぐ上に「日本武尊の足跡石」があるという。楽しみにして階段を上ると、大きな平たい石があった。そこにくぼみがあるのだが、足跡には見えなかった。説明板によると、三毳山にはこうした伝説の石がいくつもあるらしくて、これは三毳山七石の番であと6つあることになる。楽しみである。
石段が丸太を組んだ階段になると、曲がりくねりながら続いている。上が明るくなってようやく神社に着いたかと思ったが、期待は裏切られて再び車道に出たのだった。石の鳥居がたっていて、その先にはまっすぐの石段が続いていた。まだこんなに登らなければいけないかと、がっかりしてしまった。
長い石段を息を切らせて登って行き、振り返ると関東平野を見渡すことができた。
ようやく社殿のたつピークに着いた。ここが三毳神社奥社で、神社の裏には小さな石の祠がぽつんと置かれていた。その横を通って杉木立中を緩やかに下ると、鞍部には「左・山頂中継広場50m」という指導標があった。私はまっすぐに中岳を目指す。
樹林の中を登って、傾斜が緩やかになると三毳山七石の6番「ロウソク岩」があった。私は岩塔が聳えたっているのかと思ったのだが、三角形の岩があるだけであった。この三角がロウソクの炎なのだ。
このすぐ先で林から抜け出したのだが、そこはハングライダーの発進基地であった。ハングライダーで飛び立つ準備をしている人が二人いた。
ここから3分ほど登るとベンチが置かれた中岳山頂で、三等三角点があった。真ん中の横棒がかすれていて二等に読めた。



 中岳から三毳山山頂(青龍ヶ岳)へ
山頂広場


7番犬石に着く


三毳関蹟の東屋


もう一度車道を横断する


三毳山山頂


中岳からは急な階段を下って車道に出ると、新しくて大きな東屋がたっていた。ここが山頂広場である。もちろんここは三毳山山頂ではない。まぎらわしい名前ではないか。

ここにたつ指導標には「青竜ヶ岳(まで)1300m」と書いてあった。知らなかったのだが、青竜ヶ岳というのが三毳山山頂なのだ。また名石の指導標もあって、このすぐ上に3番と7番の犬石があるという。歩いて行くとすぐに奇妙な形の石があって、これが7番の犬石であった。北側から見ると犬の形に見えるというのだが、私にはそうは見えなかった。
そこから100mほど行くと3番の犬石があった。三毳の関の役人のことを戌奴(いぬ)といったらしいのだが、その役人がこの石の上から往来する人を見張っていたので戌奴石という名前がつたのだという。けっこう納得した。
急な階段を下って車道に出て、これを横断して林の中に入ると東屋がたっている。このあたりが三毳の関跡らしいのだが、指導標にはわざわざ「伝承」と付記されているので、信憑性は薄いみたいである。このすぐそばに道祖神の祠があった。苔むした古い石の祠であった。
ここから青竜ヶ岳までは1000mである。
100mほど行くと三毳名石4番の花籠石があった。石の舞台のようなところで、この上で僧が五穀豊穣・村内安全のお経を1週間にわたってあげたところ、村民が競って花籠を捧げたというのだ。この岩に上がって見たが、樹林に囲まれていて展望はなかった。
松林の中を歩いて行くと車道に出て、そこにも東屋があった。このすぐ先の指導標には青竜ヶ岳まで500mと書かれていた。もうすぐである。
右・湿性植物園の指導標を過ぎると階段の急な登りになった。最後の登りはきつい。右に階段ではない踏み跡があったので、これを行くことにした。傾斜のきつさは変わらないのだが、階段は段差が大きくて疲れるのだ。
階段と合流すると、すぐにテレビ中継アンテナ塔がたつ山頂に着いた。山名の標識も三角点もないので山頂かどうか迷ってしまうのだが、ちょうど反対側から登ってきた登山者に聞いたらここで間違いないという。1455分になっていた。
休みながらガイドブックを読んだら、このすぐ下に「竜ヶ岳雷電宮」という巨石があるというので、行ってみることにした。ザックは山頂に置いて、空身で下った。すぐに巨石が重なっていて、下に回るとこの巨石の間に小さな石の祠が置かれていた。手を合わせてから山頂に戻った。
ポッドの暖かいコーヒーを飲みながらどのコースで下るか考えた。

同じ路を引き返すのはつまらないので、車道と遊歩道を組み合わせて最短で下るコースを決めた。



 三毳山山頂から下山
弘法の硯石前


琴平神社、後ろが天狗岩


展望台


わくわく滑り台


冒険砦


わんぱく広場まで戻った


山頂からは階段を下って、車道に出たところでこの車道を歩いて行くと、その途中に山頂広場に上る遊歩道の上り口がある。いつのまにかすごく下ってしまっていて、山頂広場へはすごく急で長い登りであった。これなら素直に登った道を戻ったほうがよかったと悔やんだ。

山頂広場から中岳への登り口に、三毳七石のひとつ「弘法の硯石」があった。標識の近くには石がたくさんあってどれがそうなんだと迷ってしまったが、標識の奥にある巨石のようである。この石に上がってみたら平で硯に見えないこともなかった。
山頂広場からは右の車道を歩いて中岳を捲いてしまって、山頂中継広場に着いた。
山頂中継広場からは七曲坂を下るつもりであったが、西側に富士見台があることがわかった。しかも、三毳七石の3番天狗岩と4番謙信の鞍掛石があるのだ。(でも、3番はさっき犬石だったはずだが…)このルートをとると、かなり遠回りになるのだが、17時までに戻ればいいのだから観光に徹することにした。
柵が続く道を行くと琴平神社があって、その後に巨岩がそびえ立っている。これが天狗岩であった。神社はコンクリート造りの四角形でちっとも情緒がない。
神社から岩の上に登ると、その左に西洋のお城のような展望台があった。これが富士見台である。この上からは関東平野の大パノラマを見ることができて、遠くには富士山も見えようで、「関東の富士見百景」に選ばれているのだ。でも、もう夕方に近いためか、遠くは霞んでしまって富士山を見ることはできなかった。
富士見台から向こう側に下ると大きな筒が曲がりくねって横たわっていた。なにかと思ったら、これが「わくわく滑り台」で、この筒の中を子供が滑り降りるらしいのだ。この滑り台の上に「謙信の鞍掛岩」があった。上杉謙信が関東に攻め入ったときに、ここで馬を休ませたというのだ。でも、馬でこんな山の上まで登れるのかよ…と思ってしまった。
少し下ると冒険砦で、フィールドアスレチックの遊具がたくさん置かれていて、砦に見えないことはない。
もう16時を過ぎているので少し急ぐことにした。林の中を下って行くと、5番の夫婦岩があった。巨石が二つ並んでたっていた。
石段を下って、平坦になるとわんぱく広場で、たくさんの家族連れが遊んでいた。そこへ南口広場でみたフラワートレインがやってきた。
ここからは車道を東に歩いて行く。家族連れはみんなフラワートレインに乗るので、歩くの私くらいのものである。
南口の駐車場に戻ったのは1623分であった。広い駐車場には私以外に車が1台停まっているだけで、逆光の夕日がまぶしかった。


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