富士山の見える山に行こうと思った。
太宰治は富士山のあまりにも整いすぎた姿を嫌ってたみたいなのだけれど、俗人の自分としてはあのすっきりとしたシルエットの堂々とした姿を見ると、けっこう感動してしまうのだ。
すこし、紅葉には早いのだけれど、櫛形山と七面山から富士を眺めてみようと思う。
1999年9月24日
例によって、会社が終わってから荷造りをして小山を夜の10時過ぎに出発した。まず八王子に向かい、八王子から高速にのって甲府南ICで降りた。登山口の氷室神社には2時くらいに着いたが、そこから少し戻ったところに駐車スペースがあったので、ここに車を停めて寝た。
9月25日
朝、6時頃に行動開始。
氷室神社の立派な鳥居をくぐって、石段を登っていく。うっそうとした杉木立で歴史を感じさせる。
神社の社殿のそばに大きな杉が立っていた。ご神体のように祭られている。
日本の宗教、神道の面白さはこうした自然崇拝にあるのかもしれない。たとえば、登山自体が山岳修験道としての宗教行動であるし、山そのものが神として崇められている。
奈良の三輪山は山そのものがご神体だし、少し高い頂きに大きな岩があると、それは岩座(いわくら)といって、神の宿るものとする。
私のふるさとの津軽には岩木山が聳えているが、秋になると五穀豊穣を祈って、各村では「御山参詣」を行う。これはけっこうすごい行事で、村の有志が列を組んで、数メートルもある御幣の大きいものを立てて、岩木山神社に集合する。
大きな山が「霊山」として祭られるの日本だけだろうか。
どうもそうではないような気もする。
こうした山に対する昔からの畏敬の念というのは、現在多くの人が登山を楽しむこととなにかしら通じるものがあるような気がする。
神社の横から登山道が続いていて、本格的な登りになる。
途中、滝に下る道があるようなのだが、気がつかずに通り過ぎてしまった。今回登ったのは南尾根の道なのだが、この途中で富士山が見えた。見とれてしまう。
急な道を登って行くと、途中でキャンプ場のようなところがあった。水場があって、炊事場と思われる施設があった。ここが「祠頭」というらしい。石の祠があるようなのだが、それは見当たらなかった。
ここからバラボタン平は近い。
ちょっとした草原があって、その脇の林に囲まれたところがバラボタン平の分岐であった。ここから左、南に行くと櫛形山山頂である。
ガイドブックには途中2020mのピークがあって、山頂と間違いやすいと書いてあったが、それらしきところはなくて、あっさりと頂上に着いてしまった。
頂上は展望のきかない林の中にあった。
私が持っているガイドブックには「東面が開けて甲府盆地が見下ろせる」と書いてあったが、なにも見えなかった。ガイドブックが昭和58年のものだから、この15年の間に樹木が成長したということだろうか。
山頂から来た道を引き返し、バラボタン平からさらに北に進んで裸山を目指す。この山の標高は2003mである。櫛形山は2052mだから、2つの2000m峰を踏めることになる。
この裸山への道は、まるで原生林のような樹林の中の道で、奥秩父の白石山の感じに似ていた。
樹林の中の尾根道から開けたところに飛び出すと、そこは裸山山頂直下であった。
裸山は展望が開けていて、西に南アルプスの峰が見えるはずであったが、雲で隠れていた。
櫛形山はすぐそばに見えた。
ここから見ると、あまり特徴のない、樹林に包まれた山である。これが200名山なのか、と思ったりする。
ところがガイドを読むと、ここはアヤメの大群落が有名で、それはすばらしいものらしい。このアヤメを見ていたら評価は変わるのかもしれない。この裸山もアヤメに覆われるらしい。残念であった。
ここからは引き返すだけである。
明日は七面山に登るつもりなのだが、この櫛形山から七面山はきわめて近い。
国道52号線に戻って、あとは富士川に沿って南下するだけである。
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登山口の氷室神社
神社の参道を行く
杉の大木があった
祠頭の分岐
バラボタン平の分岐
櫛形山山頂にて
引き返して裸山を目指す
裸山直下
裸山山頂 |