関東百名山
たつわれさん

標高 658m
登山口→15分→不動石→20分→弁天池→5分→太刀割石→10分→堅破山山頂→10分→随神門→5分→弁天池→15分→不動石→10分→登山口

堅破山と書いて「たつわれさん」と読むのだが、この名前の由来は山頂にある太刀割石なのだ。登山道には伝説を持った岩がたくさんあって、これを見て歩くだけでもけっこう楽しいのだ。
太刀割石

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2009319

昨日も同じ道の駅に泊まった。昨日はロングランだったので早く寝てしまって、朝までぐっすりであった。空が明るくなった6時半ころに眼をさまして、まず洗面をして、それからお湯を沸かした。熱いコーヒーを飲んで出発。
今日登る堅破山までは40kmほど走らなければいけない。出発したときは山に厚い雲がかかっていたが、月が見えたので雲は晴れるだろうと思う。
どんどん走って行くと、すごく狭いガタガタ道になった。対向車があったら、すれ違うことが難しい道である。
ガイドブックにある登山口に着いた。ここには第一鳥居があるのだが、そこには「このさき500mに駐車場とトイレがある」という標識があったので、そこまで行くことにした。
広い駐車場に着くと、登山路の案内標識がたっていた。ここから歩き始める。出発は7時半、この山は往復1時間半なので10時頃には帰ってこれそうだ。
指導標に従って杉林の道を行くと、すぐに登山口があった。そこには登山道のイラストマップがあって、これによると、登山道にはたくさんの伝説の巨岩があるらしい。けっこう楽しみである。
登山口から200mほどのところに石碑がたっていた。梵字が刻まれていて、さっきのイラストマップによると「最後の修験僧の墓」である。
鬱蒼とした杉林を緩やかに登って行く。道はしだいに溝の中を行くようになった。最後の修験僧の墓から5分ほど行くと、大きな平たい岩が見えてきた。不動岩という標識がたっている。岩から水が流れ落ちていて、上には不動明王の石像が置かれていた。ずいぶん古いものに思えたが、これは明治になってから祀られたものなのだ。
岩の前にはベンチが置かれて、次の烏帽子岩まで170mという指導標も立っていた。なかなか親切である。
えぐれた溝の中を登って行くと、所々に丸太を組み合わせたベンチがおいてある。登山道としてちゃんと整備されているのだ。
少し行くと大きな三角の岩が見えてきた。烏帽子岩という巨岩で、八幡太郎義家が堅破山の神霊に参拝したときにかぶっていた烏帽子に似ているのだという。
ここにも、次の畳石まで60mという指導標がたっていた。
階段の道を登って行くと、すぐに手形石があった。よく見ると、岩に手形のようなものがある。「八幡太郎義家手形石」という説明があった。八幡太郎ってこんな大きい手をしてたのかよ、つっこみたくなる。
ここから少し上ると道の下に「畳石」があった。巨岩が三つ重なっていて、一つは苔むした石で他は白い巨岩である。どれが畳石なんだろうと思ったら、説明には畳を重ねたように4段に裂けるように割れていると書かれている。4段に割れているのは苔むした岩であった。八幡太郎義家が腰を降ろして休んだので腰掛け畳石といったらしい。でも、修験僧が座禅をした岩だという伝説もあるのだ。
畳石のすぐ傍にはベンチが置かれていて、水場もあった。
道は階段状になって、5分ほど行くと雷杉という杉の木がたっていた。そんなに古木というのではないのだが、幹が裂けている。この木は昭和30年に落雷で根元まで真っ二つに裂けてしまったのだ。ところが生命力はすばらしいもので、落雷の傷跡を包み込むように樹皮が覆ってしまったのだという。すごい。
このすぐ先に青いビニールシートで覆った炭焼き釜があった。これは昭和25年頃まで使っていたもので、「あかめ焼き釜」ともいうのだそうだ。
なんか登山をしているよりは観光をしている気分になってしまう。
すぐ先に東屋がたっていて、その横に小さな池があった。これが弁天池であった。雨乞いの池だともいわれ、すぐ傍には祠があった。
ここに分岐の指導標がたっている。すぐ目の前には石の鳥居とその奥に新しい山門が見える。(指導標には仁王門と書いてあるのだが、私のガイドブックには随神門と書いてある。)この門をくぐって登ると黒前神社で、左に行くと太刀割石である。
私はまず太刀割石をみてから山頂を目指すことにする。
ここから太刀割石までは160mである。樹林の中を緩やかに登って行くと、すぐに大きな岩が見えてきた。丸い石を二つに割ったような岩である。一つは平面を上にしていて、もう一つは立った状態である。
八幡太郎義家が太刀で割ったという伝説があり、後に水戸光圀(黄門さまだ)がこの山に登ったとき「最も奇なり」と感銘して、太刀割石の名前をつけたのだという。
ここからは平坦な道で、木漏れ日の中をのんびり歩いて行くと樹林に入って、階段状の道を上ると境内に着く。
ここに立つのが黒前神社かと思ったら、薬師堂なのだ。神社かお寺なのかよくわからない山である。
境内には甲石という大きな石がある。
水戸光圀によって甲石と改名される前は「堅破山和光石」と呼ばれていて、薬師如来が隠されている石として信仰されていたのだ。岩の正面は岩を彫り抜いて祠をつくっている。中には薬師如来の12神将が祀られていたのだが、現在は6体だという。鉄の扉は開いているので覗いてみると、中は空っぽであった。盗まれたんだろうかと心配してしまった。
甲石の前には舟石がある。なるほど船のような形の岩が横たわっていた。
薬師堂の左に、長い石段が伸びている。これが山頂への道なのだが、この登りはきつかった。今日の登山で一番きつい登りである。
急な石段を上りきると社殿がたっている。この後ろの御神体は石の祠であった。私はここが山頂なのかと思ったがそうではなくて、ここからさらに雑木林の尾根を行くのだ。
すぐに山頂の広場があった。ここには螺旋階段の展望台がたっていたので、さっそく上ってみた。神峰山・高鈴山・真弓山、遠くには筑波山や加波山も見えるという。展望台からはすばらしい展望なのだが、どれがどの山なのかよくわからなかった。遠くは霞んでいて筑波山を見ることもできなかった。
山頂から150m行ったところに胎内石があるというので、見に行った。
山頂からはけっこう険しい下りで、巨岩の間にはロープも下がっていた。すぐにそそり立つ岩壁が見えてきた。巨岩の重なるところに岩窟がある。これが胎内石であった。
これで見るべき物はすべて見た。あとは引き返すだけである。
山頂に「黒前神社への途中に下る」という標識があったので、この道を下った。あの急な階段は避けたかったのだ。鬱蒼とした林の中を下ると薬師堂の広場に着いた。
ここから太刀割石の方へ歩いて行くと、すぐに左下に山門が見えてきた。石段を下って山門に着く。山門の両側には神像が置かれているので、これは随神門ということになる。ところが神像の後ろに板囲いの部屋があって、そこに開けられた小さな窓からのぞくと、真っ暗な中に仁王像が立っていた。この門は随神門であって、仁王門でもあるのだ。明治の廃仏毀釈以前は仏教も神社も一緒だったのだ。
登って来た道を引き返して、登山口に戻ったのは920分である。

今回の登山旅行はこれで終了する。明日から3日ほど天気はよくないのだ。それに、今回は秩父の巡礼のための旅だったのだから、登山はついでにすぎなかったのだ。


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道の駅「奥久慈だいご」


一の鳥居


広い駐車場


道ばたのベンチ


烏帽子岩が見えてきた


烏帽子石から畳石への道


下に畳石が見えた


弁天池の東屋


太刀割石


薬師堂の横の急な石段


黒前神社


堅破山山頂


胎内石


仁王門に下る






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