埼玉県03 伊豆ヶ岳を越えるみち
いずがたけ

標高 850m
芦ヶ久保駅→(西武線)→正丸峠駅→40分→お申講→40分→正丸峠→25分→小高山→20分→五輪山→20分→伊豆ヶ岳山頂→20分→古御岳→30分→高畑山→50分→中の沢の頭→20分→天目指峠→30分→子ノ権現→40分→滝不動→50分→西吾野駅

奥武蔵野伊豆ヶ岳についてはファミリーハイキングコース程度と甘く見ていた。ところが山頂直前にはすさまじい鎖場があるのだ。もちろんこの急峻な絶壁を登る…と思ったら落石注意で登攀禁止であった。
伊豆ヶ岳山頂

 正丸峠駅から正丸峠へ
芦ヶ久保駅のホーム


正丸駅の指導標


馬頭観音の祠


お申講


右の旧正丸峠に向かった


車道に出てしまった


正丸峠の標識があった

BACK 大持山

20091021

今日は伊豆ヶ岳に登る。この山も縦走コースが面白いので、車ではなく西武線を使うことにした。車を芦ヶ久保の道の駅に停めて、すぐ上にある西武線の駅から正丸駅まで行き、帰りは西吾野駅に下るつもりだ。ところが、芦ヶ久保駅に行ったら、次の便まで20分ほど待たされることになって、暇つぶしに、西武線沿線のハイキングコースのパンフレットを読んだら、今日歩くコースの大半が「関東ふれあいの道自然歩道」に重なっていることがわかった。私は、いつかこの全コースを歩きたいと思っている。せっかくなので、今日は関東自然歩道のコースを歩くことにした。そうすると、西吾野に下る予定が吾野駅に下ることになって、距離は長くなる。それでもいい。今日は関東ふれあいの道歩きに決めた。
正丸駅に着いたのは723分である。駅の改札を出ると、右に指導標がたっている。階段を下って、それから右折して西武線のガードをくぐる。その向こうは里の風景が広がっていて、これを眺めながらのんびりと歩いて行く。
10分ほど行くと、右にお堂がたっていた。安産地蔵尊というらしい。道は小川に沿って続いているのだが、けっこう岩が多くて渓谷のような流れなのだ。水もきれいである。
地蔵尊から15分ほど行くと、関東自然歩道の案内板のたつ分岐に着いた。ここにはお堂がたっているのだが、中には馬頭観音と刻まれた小さな石碑があるだけであった。
ここから左に行くのが、登山ガイドブックに書いてあるコースである。でも関東自然歩道はこのまま車道を行く。登山コースは伊豆ヶ岳の少し手前の五輪山に直接登って行くのだが、自然歩道はまず正丸峠に登るのだ。
正丸峠には前から一度上ってみたいと思っていたのでちょうどいい。
この分岐から少し行くと、車道は終わって細い石畳の道になった。石畳はすぐに終わってしまったが、鬱蒼とした杉林が続く。5分ほど行くと、右に石の鳥居がたっていた。「お申講」の祠であった。2月の初申に山の神を祭るのをお申講というらしい。
ここからさらに5分ほど杉林を登ると分岐があった。西武電鉄が発行しているパンフは右を行くように書いてある。左の道はまっすぐに正丸峠に登って行くのだが、左はずいぶん迂回して登って行く。指導標には「旧正丸峠」と書いてあるので、昔の峠に登れるののならいいではないかと思った。(これはウソだった)今日は自然歩道を忠実に歩くことにしているので、右の迂回路を行った。山の斜面を斜めに登って行く。山襞に沿って続く道は曲りくねっている。15分ほど行くと、舗装道に飛び出した。ここに立つ指導標には奥村茶屋まで1kmと書いてあった。この茶屋があるのが正丸峠なのだ。けっこう有名な茶屋であるらしい。
舗装道をひたすら歩いて、15分ほどで奥村茶屋が見えてきた。正丸峠という大きな標識もたっている。ここには自然歩道の指導標があって、旧正丸峠は石段を上ると書いてある。登ってみたら、少し上に自然歩道の案内板があって、それによると、ここから1.9kmもあるのだった。旧正丸峠という標識はいったいなんだったのかと思ってしまう。ただ、遠回りして、舗装道を歩いただけだった。どっと疲れた。
茶店の横に展望台があって、そこには昭和天皇陛下行幸御展望記念碑がたっていた。茶店の横から自然歩道に入ると、すぐに左から登ってくる道がある。これが、あの分岐を左に行った道なのだ。この道を歩いたらもっと早く着けたのに…と思ってしまう。




 伊豆ヶ岳山頂へ
正丸峠からの伊豆ヶ岳への登り口


小高山山頂


五輪山山頂


男坂・女坂の分岐に着く


伊豆ヶ岳山頂


正丸峠からはすぐに階段の急な登りであった。鬱蒼とした桧林の登りで、時々、背の高い笹藪があったりする。

尾根のアップダウンを繰り返して、20分ほど行くと明るいピークに着いた。ここが小高山で標高720mである。自然歩道の石のプレートがあって、それによると正丸駅からは3.5km地点であった。ちなみに、終点の吾野駅までは11kmとなっている。今日は14.5kmも歩くのだ。
樹林の間から山並みが見える。方角からして、昨日歩いた二子山から武川岳へ続く稜線と思われる。
小高山から5分ほど下って鞍部につくと、そこが長岩峠であった。ここから左に行くと正丸駅に行けるらしい。
峠からは階段の急な道を上って行く。階段が終わったと思ったら、左折して、さらに長い階段が続いていた。ピークに着くと、そこが五輪山。山頂は広場になっていて、そのまわりにベンチが置かれている。
五輪山から下ると、その鞍部が伊豆ヶ岳へ山頂へ続く男坂と女坂の分岐であった。男坂というのは高さ50m、傾斜40度の岩壁を鎖で登るコースで、女坂は樹林の中を捲いて行く道である。伊豆ヶ岳といったら、この鎖場がすべてで、これを登らなかったら、伊豆ヶ岳に登ったとはいえないのでないかとすら思ってしまう。
ところが、私のもつパンフレットには落石がひどいので男坂は通行止めと書いてある。登山のガイドブックにも、「落石事故が発生しやすく、女坂を登ったほうが無難」と書いてある。
男坂の入口はロープで通行止めにしてあって、その奥には「落石注意、事故あった場合は自己責任」という標識もたっている。男坂を登るのはあきらめることにした。でも、写真だけと思って絶壁の下まで行ってみた。鎖が数本下がっていて、すさまじい岩壁である。
ともかくあきらめて、女坂を行く。樹林の中の山腹を捲いてゆく緩やかな道である。
左にターンして、ようやく山頂に向かっての登りになった。階段道がジグザグに続いている。これを登って尾根の上に着く。山頂は右に行くのだが、左を見ると、大きな岩がいくつも点在している。さすが男坂である。
この尾根のすぐ上が伊豆ヶ岳山頂であった。登山者が一人いた。
標高850m、今日の目的の山である。山頂には露岩がたくさんあって、三等三角点もあった。山頂の西側が開けていて、山並みが展望できる。昨日の記憶をたどると、大持山と子持山がわかった。そうすると武川岳もわかる。ただ二子山が二つのピークで目立つはずなのにわからなかった。武川岳の右に、少しだけ武甲山が顔をのぞかせている。



 古御岳山・高畑山
伊豆ヶ岳からの下り


古御岳山頂


高畑山山頂


山頂から露岩の多い急な道を下る。最初はきれいな林だと喜んで下っていたのだが、だんだん余裕がなくなってきた。ザラザラの滑りやすい急斜面になって、慎重に下って行くと、その途中に山伏峠への分岐があった。ロープが下がる急斜面を下って、ようやく傾斜が緩まると、西吾野駅への分岐があった。登山道が複雑に交錯している。

この先で小さなピークを越すと、すごく急な登りになった。崩れかけた階段道が続いている。道には露岩も多くて、すさまじく険しい登りである。ようやく登りきったところが古御岳山頂であった。山頂にはベンチが置かれ、東屋がたっていた。
この先もすごく急な下りであった。岩場もあって、岩礫だらけの道は不安定である。細かなジグザグで下って行き、ようやく鞍部に着くと指導標があった。でも分岐ではなかった。
この先で小さなピークを越すと、関東自然歩道の石板があって、小丸駅からやっと
5km来たところであった。
自然林の少し紅葉した尾根を行き、左に植林が現れたところに名郷との分岐があった。ここからも名郷に下れるのかと驚いた。
植林の尾根から自然林に入ってアセビの説明板をみて、急な斜面を登ると、高畑山山頂であった。樹林の中で展望はない。ここから次の目標の天目指峠までは1.6kmであった。



 天目指峠へ
鉄塔があった


中の沢の頭山頂


天目指峠


植林の尾根を急下降する。傾斜が緩まると、林の中に送電線の鉄塔がたっているのを見た。この先で、さらに急下降する。道にはロープが張ってあって、これにつかまって下った。高畑山の標高は
695mで、目指す天目指峠は475mなので標高差220mを下らなければいけないのだ。ところが道は平坦になって、なかなか下って行かない。
リョウブの花の説明板のたつピークを過ぎると、道が二つに分かれる。左は急下降の道で、右は尾根に沿って緩やかに登って行く。当然下りだろうと思ったが、この分岐の木の幹に小さな標識が打ち付けてあるのを見つけた。どっちの道を行ってもこの先で合流するのだが、右の道は中ノ沢ノ頭を通るのである。これも縦走路の山頂の一つなので、右の道を行く。狭まった尾根をアップダウンしてピークに着くと、りっぱな山名標識がたっていて、その足下には三等三角点があった。山名標識の柱には「正丸駅と吾野駅のほぼ中間点です」というプレートが貼ってあった。やっと半分来たのだ。ここの標高は
622m、天目指峠までは、あと150mほど下らなければいけない。
杉林の中を急下降すると、すぐにさっき分かれた道と合流した。この先もアップダウンが続いて、真っ直ぐに下って行こうとはしない。いったいどうなっているんだと思ってしまう。それでも、次第に高度を下げていって、下に林道が見えるようになったら、峠はすぐであった。車道に下ったところが峠かと思ったら、その手前に「天目指峠の伝説」という説明板があって、そこから少し上がったところに、天目指峠と書いた大きな標識がたっていた。山頂にたつ標識の様式と同じである。



 子の権現
峠から車道に下る


ヤマザクラ説明板のピーク


子の権現と間違えたピーク


子の権現に着いた


この先で階段を下って車道に降り立つ。

車道は横切って、すぐにまた階段を上るのだ。すぐに尾根の登りになるのだが、右下には自然歩道の休憩舎(東屋)の屋根が見えた。
杉林の中を急登する。木の根が網のように張り出した険しい登りが続く。次の目標は子の権現なのだが、再び標高差200mほどを登らなければいけないのだ。
ようやくピークに登り着いたら、ベンチと説明板がある。名前のある山頂なのかと思ったら、ヤマザクラの説明板であった。アップダウンが続く。
西川材という説明板を過ぎると、すごく急で険しい登りになった。木の根が網のように張り出した急斜面を登って行く。ピークを越えると、次の登りは大きな岩がゴロゴロする斜面の登りであった。これを過ぎると今度は杉林の中の長い階段道だった。ようやく傾斜が緩まって、雑木林を緩やかに登って行くと、祠がたつピークに着いた。ここが子の権現と思ったらそうではなかった。ここでようやくわかったのだが、子の権現というのは山ではなくてお寺の名前なのだ。でも、ここが子の権現の山頂ということにして、記念写真を撮った。一息入れていると、下から子供たちの騒ぐ声が聞こえてくる。遠足でここに登ってくるのだろうかと思った。山頂からザラザラの急な道を下って行くと、小さな鳥居があって、そのすぐ下に広い道があった。これを歩いて行くと、樹林から抜け出して、明るい広場に出た。そこには幼稚園児が遠足の休憩をしていた。それぞれにシートを敷いて食事をしている。賑やかである。
この子供らの間を通って、子ノ権現のお寺に向かう。
大きな茅葺きの屋根が見えてきて、縁先を通って本堂の前に出る。茅葺き屋根の大きな建物が本堂かと思ったらこれは庫裡で、本堂は左の坂を上がったところにあるのだ。
本堂はコンクリート造りの新しい建物で、この前の広場には大きな金のワラジがあって、その横には赤と白の大きな下駄があった。
庫裡の前から参道を下って行くと、大きな仁王像がたっていた。さらに山門をくぐって参道を下ると赤い鳥居があって、その横に大きな杉が聳えている。これが二本杉で、一本は上部がなくなっていた。落雷にでもあったのだろうか。



 西吾野駅に下山
これを通り抜ける


ここから山道を下る


滝不動のお堂


吾野駅に着いた


関東自然歩道の案内板を見て、指導標に従って下って行くと、大きな屋根のかかった駐車場があった。その先は車道を歩いて行く。この道でいいのか心配になったが、すぐに「車道から右に下る」という指導標があった。植林の中をジグザグに急降下する。

どんどん下って、ようやく道がまっすぐに続くようになった…と思ったら、再びジグザグの急下降になったりする。ともかく長い下りであった。車道から20分ほど下ると石の階段が現れて、その先に赤い欄干の橋が見えてきた。これが「降魔の橋」で、この先は舗装された車道になった。車道を5分ほど下ると浅見茶屋があった。かなり有名な茶屋らしいが、今日は休みであった。このすぐ先に赤いお堂がたっていた。滝不動であった。このお堂の後ろには滝があった。
あとは単調な車道歩きで、しだいに民家が多くなって、滝不動から25分ほどで、ようやく東郷公園に着いた。左に大きな石の鳥居がたっている。公園ではなくてこれは神社なのだ。
道をまっすぐ行って橋を渡ると国道なのだが、自然歩道は橋の前で右折する。民家の間の細い道をのんびり歩いて行くと、突然山道になった。林の中を登って、行く手に金網のフェンスが現れたら、その下は西武線の線路であった。線路を左に見て、展望の開けた道を行くと、作業小屋の間から舗装道に出た。陸橋で線路を渡って、西武の電車が走って行くのを見ながら歩いて行くと、やっと吾野駅に着いた。駅のホームには幼稚園児の団体が列を組んであふれていた。
1425分の電車に乗って、芦ヶ久保の道の駅に戻ったのは1450分である。今日は簡単な登山のつもりが、けっこうハードな登山であった。疲れた。


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