BACK 根本山・熊鷹山
2009年9月27日
一泊二日で谷川岳を登るつもりで、土合にやってきた。白毛門・朝日岳と縦走して、清水峠に泊まり、最後に谷川岳に登って下山するのだ。
6時に土合の駐車場に着いて、1時間ほどかけてパッキングをした。テント泊となると荷物が多くなるのだ。
歩き始めたのは7時ちょうどである。急な尾根を40分ほど登って行ったが、天気がぱっとしない。これでは期待の谷川岳の大岩壁を展望できそうもない。私は過去三度谷川岳に登っているのだが、晴れたことがない。今回こそ天気のいい日に登るつもりだったのだが、どんよりとした雲が頂稜部を覆っていて、景色も霞んでいる。携帯の天気予報ではお日様マークと雲マークがついているので、天気は悪くないはずなのだ。でも、谷川岳というのは日本海側と太平洋側の気候がぶつかるところで、すごく不安定なのだ。ダメなのかもしれない。
あっさりあきらめて下山することにした。天気の悪いとき登ってもしかたがない。近くの山を登っているうちに秋晴れの日がやってくるだろうから、今回は止めである。
登山口の駐車場にもどったら、けっこう車が多くて、これから登る人もいた。団体のバスも停まっていた。
地図を見ると、近くに吾妻耶山がある。往復5時間20分の山なので、これから登るにはちょうどいい。
車を走らせて、登山口の仏岩ポケットパークに着いたのは9時少し過ぎであった。
歩き始めようとしたら、登山道入口に「遊歩道には山ヒルがいます」という看板が目に付いた。ゲッと思ってしまう。私は鈴鹿の山でヒルに吸い付かれてから、どうしようもなくヒルが苦手なのだ。注意して歩くことにした。
草つきの広い道を緩やかに登って行く。道は右にカーブしていって、すぐに指導標たつ合流点についた。実は、登山道は私が歩き始めたところより20mほど右にある東屋の横から始まっているのだ。その道とここで合流したのである。
ここからすぐに杉の植林の中に入る。鬱蒼とした暗い林の中を行くと、道は左にカーブしていって、山の斜面を斜めに登るようになる。二度ほどターンをして、急登すると、行く手に明るい尾根が見えてきた。ここが赤谷峠である。朽ちかけた古い指導標と、新しい指導標がたっている。新しい指導標の下にはプレートがはりつけてあって、それは地元の高校の名前であった。各校の山岳部が協力してこの指導標をたててくれたらしい。感謝である。
ほとんど平坦な自然林の尾根を5分ほど行くと、指導標がたっていた。よく見たら、柱の部分に仏岩と書いてある。驚いて見上げたら、たしかに巨岩がそそりたっていた。岩の基部まで行ってみたら、鎖が下がっている。仏岩の上まで登れるらしい。でも、私はそんな危険なことはしない。(…というよりは岩登りが大の苦手なのだ)
仏岩の写真を何枚も撮って、それから先を進む。
尾根を快適に歩いて行くと、高いピークが迫ってくる。でも、登山道はこれを左に捲いてしまうのだ。トラバース道から尾根の上に戻ると、今度は右の捲き道を行く。これはラクでいい…と思って歩いて行くと、尾根の上に戻ったところに通行止めのロープが張ってあった。尾根を登る道は通行止めで、登山道は尾根の右を行くのだ。
ここから10分ほど行くと指導標がたっていて、山頂へは左折する。でも、直進方向の道もしっかりしていて、「中腹コース」と書かれている。これはもしかしたら、吾妻耶山を捲いて大峰山に至る道なのではないかと思った。でも、指導標に大峰山とは書いていなかった。
ようやく吾妻耶山への登りが始まった。ここから5分ほど登ると、さっき通行止めになっていた道にぶつかる。ここで右折にして尾根を山頂に向かって登って行くのだ。
ところが、この道ははんぱでなくきつい登りの連続であった。絶壁のような登りで、これを真っ直ぐに登って行くのだ。木の根につかまったりして15分ほど急登を続ける。ようやく傾斜が緩まって、ヤレヤレこれで山頂かと思ったらそうではなかった。ここからがまた長いのだ。
紅葉が始まった自然林の平坦な尾根を歩いて行くと、道には岩が多くなってきた。露岩のピークからは右折して少し下って行く。苔むした巨岩が累々とする鞍部に着いて、さらに岩の多い道を登って行くと、右には岩壁が聳え立っている。紅葉がこの岩壁を飾っていて、すごくきれいであった。
平坦地に着いたら、指導標がたつ三叉路であった。吾妻耶山へはここから往復するのだ。
平坦な樹林の中を歩いて行く。尾根とは思えない広い平坦地が続く。
分岐から10分ほど行くと傾斜が少しきつくなって、これを登りきるとようやく山頂であった。山頂の入口には石柱が両脇にたっていて、その向こうが広場になっている。大きな石の祠が三つ並んでいた。
登山者が二人、休憩していた。霧が出てきていて、展望はまったくない。山頂でパンをかじって休憩した。
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