しゃりだけ

標高 1544m
清岳荘→40分→二股→1:00→上二股→1:00→斜里岳山頂→30分→上二股→40分→熊見峠→30分→下二股→清岳荘

昔、釧路に住んでいたときに何度か登ったのだが、旧道コースを歩いたことがなかった。そのときは沢登り不安だったのだ。でも、たくさんの滝を見ながら行くこのコースをなんとしても歩きたくなった。
山麓から斜里岳

 朱円ストーンサークル 1991年斜里岳登山











オホーツク展望台に泊まった

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2006年7
16日(日)

北見富士登山をあきらて、明日登るつもりの羅臼岳に向かって車を走らせる。斜里の町を抜けたところで、朱円ストーンサークルの案内があった。私はこうした古代の遺跡が大好きなのだ。
私は、どうにも不思議でしょうがないのだが、こんな酷寒の地で、どうして太古の人々は生活できたのかと思ってしまうのだ。幕末、ロシアの侵略に備えるために、私の故郷の弘前藩がこの斜里で警備にあたり、越冬したのだが、多くの死者を出しているのだ。近世においても寒さに勝てなかったのに、太古の人々がこのオホーツクの地で生活できたというのがどうにもわからないのだ。古代人は現代人が考える以上に耐寒力があったのかもしれない。ということは、現代人がめちゃくちゃにひ弱になってしまっているということだ。情けない。
この遺跡公園の前で、テーブル・椅子をだして昼食をとったのだが、食べながら地図をみていて、突然、斜里岳に登りたくなった。
斜里岳には二度、清岳荘からのコースと玉石の沢コースのを登っているのだが、どうしても心残りなことがある。それは清岳荘からのコースのち旧道コースを歩いていないことなのだ。この旧道コースは沢の渡渉を繰り返す道なのだ。私が斜里岳に登ったのは、まだ沢登りの経験のないときで、どうにも沢を登るというのがこわかったのだ。そのため、往復とともに新道コースを歩いたのだ。今、ガイドブックを読むと、たくさんの滝があって、渡渉を繰り返したりで、かなり楽しそうな道なのだ。
羅臼岳登山は明後日にして、明日は斜里岳に登ることにした。
清岳荘の前まで車で行くと、驚いたことにこの山小屋は鉄筋コンクリートのすばらしい建物に変わっていた。でも、この前の駐車場には「車中泊は有料」という張り紙がしてあった。しかたがないので、少し引き返して、オホーツク展望台という神社の祠があるところに車を停めた。



 清岳荘から二股へ


林道歩き


沢の中を行く


仙人洞


下二股

717日(月)

北海道の夜明けは早くて、4時前には明るくなってしまうのだ。今日は早く出発することにした。5時に清岳荘の前まで行って、出発は510分であった。
清岳荘の後ろに登山口がある。ここには注連縄張ってあって、祠もおかれていた。登山安全祈願のためだろうか。祠に頭を下げて歩き始めた。
樹林の中を行く。平らな道で、山すそを回りこんで行くと、林道に出てしまった。こんどはこの林道を歩いて行く。林道のつきあたりが登山口である。登山口には斜里岳山頂まで
3.6kmと書かれている。そんな短い距離なのかと驚いてしまった。
登山道を行くと、団体に追いついてしまった。斜里岳は日本百名山の一つである。だから登山者は多いのだ。
団体で困ってしまうのは、登山技術がめちゃくちゃに未熟な人が入っていることなのだ。(私の登山技術も、すべて自己流でやってきたのでまったく自信はないのだが…)深田久弥が選んだ日本百名山は、それなりに日本を代表する山で、本格的な山も含まれる。この斜里岳も渡渉を繰り返す本格的な山なのだから、近くの低山で山に親しみ、経験を重ねて、それから登る山なのだ。最近の中高年登山者は、その基本となる山の経験がないまま、ブームにのっかって百名山にやってくるものだから、渋滞をひき起こしてしまうのだ。たとえば、この斜里岳の登山道も、新道コースと旧道コースがあるのだが、旧道コースは沢登りコースである。でも、旧道コースの手前でも、すでに沢の渡渉を繰り返すのだ。
沢の流れに沿った道は大きな岩を越えたりしなければいけない。ところが、こんな初歩的な渡渉の段階でモタモタして、後の登山者に行列をつくらせるというのはどうなんだろうと思ってしまうのだ。しかも、それが団体だから渋滞は一層ひどくなる。
最近の私はけっこう心が広くなって、こんな団体の後でも、おとなしくついて行くことにしている。
ただ、団体の「質」というのもある。しっかりしたグループでは、最後尾にリーダー、責任者がいて、追いついてきた登山者の状況を察知して、適当なところで追い越させる配慮をしてくれる。でも、程度の低い団体は、リーダーが先頭にいてしまったりして、そういう配慮はまったくしないし、メンバーが疲れて遅れてしまっているのに気づかずにいたりする。私は、単独行専門だから、団体登山についてとやかくいう資格はないのだが…。
下二股に着く。



 下二股から上二股へ
下二股からは渡渉の繰り返し


沢沿いの岩を越えて行く


スラブをロープで登ったりする

下二股に着く。ここで登山道は新道コースと旧道コースに分かれるのだ。いよいよ私の今回の登山の目的のコースを行くのだ。ここにも注連縄が張られていた。
この旧道コースには滝がいくつもかかっていて、下から白糸、水簾、羽衣、万丈、七重、見晴、竜神、霊華と続く。それを眺めたり、越えたりしてゆくのだ。ワクワクしてしまうではないか。滝が大好きな私が、なんとしてもこのコースを歩きたかったという気持ちをわかってくれるだろうか。
羽衣の滝は滑滝で、そのすぐ横をロープにすがって登る。楽しい。…と思っていたら、滝の上部で渡渉するのだった。こんなところで渡渉するのかと絶句してしまう。これは怖かった。
万丈の滝もすごい滑滝、羽衣よりも規模が大きい。これも登山道は滝のすぐ横を通っていて、滝を眺めながら登るのだ。
七重の滝は沢の流れが七段の滝を作っているのだ。
8合目が霊華の滝で、登山道はこの滝の流れの中を歩いて行く。でも水は浅いので靴に水が入るということはない。なんてすばらしいコースなんだろうと感動してしまう。
滝に沿った道が終わると、流れはしだいに小さくなって、上二股に着く。7時半であった。下二股から1時間20分の沢の旅であった。楽しかった。大満足。



 上二股から山頂へ
上二股からの登り



もうすぐ馬の背


斜里岳山頂が迫る


斜里岳山頂にて


この上二股で新道コースと合流するのだが、その道は沢の右にあって、登りになっている。私はこの新道コースが山頂への道ではないかと錯覚してしまった。新道コースは登山口への下りのはずなのに登り道だったからである。山頂への道はこの沢の道を引き続き行くのだ。
涸れた沢の道を行くと道はどんどん急になって、樹林越しに馬の背が見えてきた。
馬の背は南斜里岳から斜里岳に続く稜線の鞍部なのだ。
さすがに馬の背まではすさまじく急な登りで、「胸突八丁」という指導標があった。
ガレ場の急な斜面を登って馬の背に登り着く。ここで少し休憩。
残念ながら雲に包まれてしまっていて、まったく視界はきかない。
呼吸を整えて、いよいよ斜里岳山頂への登りがはじまる。急な痩せた尾根を登ってゆくのだ。這い松の中の登りが足元が不安定なガレ場に変わる。登りは益々急だ。
祠がある小さな広場の前に着いた。流れる雲が薄れて、行く手には丸いドームのような山影が見えた。これが斜里岳山頂である。
岩屑の急な尾根を登る。
山頂は思ったより広々していて、たくさんの登山者が休憩していた。
山頂にのまん中にはコンクリートで固めたケルンが立っていて、そこに斜里岳山頂とかかれた石板がはめ込まれていた。
残念ながら雲の中である。まったく景色は見えない。
昔、この斜里岳に登ったときはすばらしい天気で、摩周湖や阿寒の山、知床の山等が一望できたのだが。
でも、今回は旧道コースの滝めぐりが目的だったのだから、満足である。



 山頂から新道コースを下山
上二股から竜神池に下る


清岳荘の駐車場に戻った


帰りは上二股から新道コースを辿ったのだが、すべて霧の中であった。上二股から新道コースにはいる。竜神の池をさす標識があった。雪渓が残っていてこれを横切って、尾根を緩やかに登ると熊見峠に着く。から斜里岳を展望したかったのだが、それもかなわなかった。
ぬかるんだ道を急下降して、林道終点に降りたったのは10時40分。
清岳荘に戻ったのは11時少し前であった。


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